2006/11/24
1:01 pm
「自分の暮らし」に手をかけること。
誰かの世話をすることもいい。
仕事に精を出すのもいい。
でも最近思うのは、それで自分個人の暮らしが損なわれてはだめだってこと。
たとえば昔の家庭のお父さんは、仕事一本やりで、妻の作ったごはんを食べてた。一生懸命掃除された部屋で寝起きをしてた。洋服を繕ってもらってた。整えられた、それぞれの家庭独特の暖かいインテリア。貧しくても、工夫を凝らされた家。
彼らは多分自分で自分の暮らしに手をかけてはいなかったけど、妻に手をかけてもらってた。
私は、愛情って時間だと思う。
どれだけ一緒にいたか、どれだけ手をかけてもらったか、どれだけ、一緒にいない時間も思ってもらったか。
そういう、「心が寄り添っていたぶんの時間」を、きっと、ごはんを食べることで、洋服を着ることで、暖かい家に帰ることで、受け取ってたはず。
そしてそれがきっと、生きる上で最も必要な基本であるはず。
では、ひとり暮らしをしたら?現代では?
自分ひとりでいたら、いくらでも「暮らし」に関して手を抜ける。誰にも迷惑はかけないし。
仕事に打ち込んだら、時間がないから、買ってきたお惣菜を食べる。掃除はあんまりしない。自分のために何かを作ったり工夫をする時間もない。ときどき、趣味に打ち込んで何かを発散する。
…でも、そこには関係性がない。愛情がない。
たとえ他者との愛情関係が身近になくても、むしろない場合こそ、自分で自分に手をかけるということが必要だ。
自分のために一からお料理をする。
自分の健康を気遣う。
暮らしやすいようにものを探したり、作ったり。
いつも部屋を清潔に。
おざなりではなく、丁寧に気持ちを込めて美しく、快適にする。
それが、自分が1人でいても気持ちがささくれないためのこつだと思う。
誰にも手をかけられずに生きるのは寂しい。
誰にも愛されていないということに似ている。
時間がなくても、大変でも、自分のことを考えて暮らしたい。
それは自己本位ということではなく、いかに自分で立って生きていくかということにつながってる。
頑張る自分にいつも胸を張っていたい。
そのために、ときどき贅沢なものを身につけるもよし。
ときどき休暇をとるもよし。毎日簡単に料理を作るもよし。
それにしても、「作る」ということが愛情に直結しているんだということに、この年齢になって実感を伴って気づく。
愛する人には、買ってあげるのもいいけれど、そんな迂回したルートではなく、時間が許すなら何かを作ってあげたい。それは本当に原初的な、愛情の表現なんだなあ。






