2007/07/01
トツゼンですが、屠畜について考える。
なぜか最近、牛やブタや鶏を殺して食べるということについて考えるようになった。子供の頃にも「なんで殺して食べるんだろう」と考えたことがあったとき、母に「食べられるのが、そのドウブツのシゴト」と教えられたような気がする。
むかし、どこかの小学校の授業で「ブタを飼って育てて食べる」(記憶では豚)という授業があって、最後は子供たちは食べずにワンワン泣きながら屠殺業者さんに引き渡して終わったというのを見たことがある。このときに本当に真剣に「ブタをどうするか」について話し合っていた姿が逞しかった。
今は、牛も豚の肉も普通にスーパーに売っていて、誰でも食べることができる。が、昔は、家で飼って育てるか狩で取ってきて絞めていたはずだ。今でも、誰かが育てて絞めていることに変わりはないんだが、このプロセスがもう今は見えなくなっている。
なんかそんなことをつらつら考えていたら、テレビでイラストルポライターの内沢旬子さんという方の存在を知った。世界屠畜紀行という本を出されているそうだ。
私たちは生きていた動物を殺してその肉で生きている。ってことは、その命をつないでもらっている分の何かをしなくてはならないんじゃないだろうか?とそんな責任を感じてみたりもするのです。
コメント(6)
2007/07/02
たかはし ラムレーズンさん、コメントありがとうございます。そうだ、「情熱大陸」だったんですね。ちょうど今日の晩御飯でも、妹にそんな話をしていたんですよ。もともと肉類は、成人で一日100グラム程度で十分なのですが、今はなんでも手軽になって、好きなだけいくらでも食べられることによって過剰摂取=栄養のバランスを崩しているという現実もあります。こういうことを意識することで、過剰な摂取に適度なブレーキがかかるとも思った次第です。
ほどらいの。 きっかけは忘れてしまいましたが、生き物の命をいただくということは、自分自身が手にかけられる(感謝をしながらも殺せる)生き物を食べることが理にかなっているのではないかと、一時期考えていました。自分が殺せる生き物って、魚とか貝とかカニくらいかな~と。結局は考えただけで、鶏・豚・牛なんでも食べていますけれど。でも、肉を食べるとき、肉を食べてるのではなくて命を食べているのだと、いつも意識するようにはなりました。
2007/07/03
たかはし ほどらいの。さん、こんにちわ^^。コメントありがとうございます。ヨーロッパのほうは肉食が中心のようですが、土地が荒れている地域は草を元手に食べ物になる動物が食料源だったと聞いたことがあります。彼らはホントに取って食う迫力がありますな。それぞれにふさわしい自然と対峙した食生活のデザインってありそうですネ♪
たかはし 多ぬ吉さん、こんにちわ^^。おー、生々しいレポートありがとうございます!ほんとは、みんなそれぞれ自分で畑を耕し、家畜を飼って自給自足が原点なんだろうなぁと思います。それをやる必要はなかったとしてもその「意識」は何にも替えがたい大切なものに感じてなりません。感謝。
2007/07/05
Pata こどもの頃に儂も悩んだ。。。というよりは不思議に思ってました。大好きな肉だけど動物を殺してるんだなーって思うと複雑で。丁度その頃(多分中学くらい)に「ぽっぺん先生と帰らずの沼」だっけかな(タイトルは違うかも)子供向けの本なんだけど、それを読んで目からウロコがおちたような気持ちになったのを覚えてます。主人公がいつの間にか虫や動物になってしまって、食べられるたびに食べた動物になる(意識が移る?)って話なんだけど、それを読んだときに繋がる命の有難さに初めて気付きました。何も考えずに食べていたけど、自分は沢山の命をもらって生きてるんだなーって思ったら嬉しくて嬉しくて。 だから今でも食べる事が大好きなのかも。。。
2007/07/17
たかはし おお、Pataさんありがとうございます。人間も7年間で脳と心臓の細胞以外は入れ替わって自分じゃなくなってるわけで、固体は常に動いている、、、と考えると自分の想いもまたなにかに移り変っている気がしてきました。だからこそ、自分のあり方にも責任をもたねばと。
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たかはし
モト世田谷在住のモト自転車通勤Nist。自転車通勤歴は19年になりました。たまたま、身長のせいでポジ...
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- 2008/09/24更新
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