2007/09/14
高城剛『ヤバいぜ!デジタル日本』
日本が経済大国から文化大国、あるいは少なくとも文化立国を目指すべきだということは、わりとコンセンサスになりつつあることかも知れない。経済大国を止めたからといって清貧に甘んじるという意味ではない。文化立国によって経済活動を支えるということも含んでいる。文化というかコンテンツというか、そういうものを多く輸出できる国になるべき、ということ。この本の著者の言葉で言えば、その輸出すべき文化とは何よりも「スタイル」ということになる。
いささかエキセントリックな活動をしていると見えないこともないこの著者だが、主張していることは基本的に正しいし、そのベースとなっている現状認識も非常に卓見である。何よりこの著者の面白いのは、体を張って、つまり自分の生活自体が既にひとつの主張というか実験というか、そんなものになっているということ。エネルギッシュなので、文章を読んでいるだけでも、その毒気(勿論、悪い意味ではない)のようなものに当てられてしまう。本人が、アイデアは「インプット」(つまりいろんなものをたくさん見ること)や「移動距離」に比例するのだと言っていて、それをしかも本当に実践している。とにかく、元気を吸い込んで元気を作り出す人なのである。
いろんな主張で正しいと思ったことは多くて、日本の現代文化の核心になっているのが「ケータイ」(電話もインターネットもテレビも利用できる)であることとか、今後の著作権の考え方はややこしいDRMなど作らずにとにかくオープンにすべきである(それだけでなく、そのようなものを集めた国家レベルでのアーカイブを作るべきであるとも言う)とか、これから重要になってくるのは情報収集力でなく情報選択力であるとか、これから注目すべきネット端末は実は「冷蔵庫」なのだとか、「放送の通信の融合」とは実はテレビを見ながらケータイをいじることであるとか、とにかくいちいち納得できる指摘が多い。
ところでそのような文化立国・コンテンツ立国を考えるとして、重要なのはそのようなコンテンツを作る「クリエーター」を育成すること。そのような人々の主な生息地となった(あるいは今もなっている)「ゲーム」と「広告」の業界をそれぞれに批判しているのが面白かった。つまり、「ゲーム」は九十年代の「ゲームクリエーターバブル」によって「自分を見失い、時代と本気で関わってこなかった」のが欠点であったし、「広告」は「広告ばかりやっていると、いま風のスタイルとテンポ感を持ったお笑いか、その場しのぎの感動しかできなくなることが多い」し、またお金をかけずに面白いものを作ることができなくなってしまうのが欠点である、と。この感じはよくわかる。まあ、実際に「ゲーム」や「広告」はお金になるから仕方ないし、勿論それがまったく悪いものというわけでもないのだが、確かに著者が指摘しているような欠点もあるとは思う。だから、それ以外に創造力をアウトプットできる領域や方法論を作らないと、本当の意味での文化・コンテンツ立国は難しい、ということにもなるのだろう(唯一、日本で「創造」と「お金」を両立できているジャンルはおそらく「漫画」で、おそらくであるがゆえに「漫画」は今の日本におけるコンテンツ産業の大きな柱となっている)。それはしかし多分、コンテンツビジネス自体のあり方も含め、大きな変化がないと難しいような気はするのだが。
『ono-deluxe』(小野裕三公式ブログ)
『ono-deluxe』(小野裕三公式ブログ) 俳句・俳句評論など、いろいろと書き物をしています。 ...
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- 2012/01/30更新
- 2007/03/12登録






