2007/11/08
「最後の一葉」を読みなおす [日記編]
オー・ヘンリーの 「最後の一葉」 のストーリーを知らぬひとはいるまい。
――肺炎にかかり余命危ぶまれる少女が、病室の窓から見える蔦の葉が
ぜんぶ落ちたとき自分は死ぬと思って悲嘆している、と聞いた老画家が、
ぜったいに落ちない一枚の葉を壁にえがいて、少女を救った。ところが
嵐の夜、ずぶぬれで描いた無理がたたって老画家が肺炎で死んでしまう。
死ぬ、死ぬ、といって騒いでる輩にかぎって、ふつうなかなか死なない。
百年前の医者(発表は1905年)の見立てだっておおいにあやしいもので、
だから「少女を救った」のも一枚の葉(のイメージ)だったのかどうか。
――と現実の話のように、真顔になってケチをつけてはみるのだけれど、
死を未然に防ごうとすることによって招来されるバカな死という主題は、
今晩すき焼きを食う主婦がワイドショーでの朗読を聞いて涙してたあの
「一杯のかけそば」から、われらが時代のセカチュウをもそこにふくむ、
そんな文学類型のなかでは、★★の法則ふうの教訓譚に仕上げたくなる
皮肉をすこしはそなえもっている。というよりも、じつは私こそが今秋、
外に出るたび見ないで済ませるわけにいかない季節外れの朝顔のことで、
あの少女のように胸痛めた事実があるので、久方ぶりにご先祖供養する
不信心者のように同書の、ネット上で公開されている原文/日本語訳を、
参照してみたのである(→[キーワード編])。そしたら冒頭の一段落で、
読んだつもりだったこれを読んでいないことに、私ははたと気がついた。
《 In a little district west of Washington Square the streets have run crazy and broken themselves into small strips called "places." These "places" make strange angles and curves. One Street crosses itself a time or two. An artist once discovered a valuable possibility in this street. Suppose a collector with a bill for paints, paper and canvas should, in traversing this route, suddenly meet himself coming back, without a cent having been paid on account! 》
《 ワシントン・スクエア西にある小地区は、道路が狂ったように入り組んでおり、「プレース」と呼ばれる区域に小さく分かれておりました。この「プレース」は不可思議な角度と曲線を描いており、一、二回自分自身と交差している通りがあるほどでした。かつて、ある画家は、この通りが貴重な可能性を持っていることを発見しました。例えば絵や紙やキャンバスの請求書を手にした取り立て屋を考えてみてください。取り立て屋は、この道を歩き回ったあげく、ぐるりと元のところまで戻ってくるに違いありません。一セントも取り立てることができずにね。 [Copyright (C) 1999 Hiroshi Yuki (結城浩)] 》
物語を、原作がたたえる文によってでなく簡約化されたものをつうじて
読むことはめずらしくないが、私はこれを、アニメ化された映像か何か
によってしか「見て」きていなかったのではないか、と思われるほどに、
物語を語りはじめる素地としてのこの情景づくりのことは、記憶にない。
だが、日本語訳のほうを読んだ記憶に思い当たれば、私はそれを読んだ
といえるのかというと、そうでもない、と感じられる。端的にはそれは、
原文を声に出して読むとき得られる躍動感が訳文に不足しているからだ。
いや、そればかりか、誤訳に近いものも含まれている。翻訳である以上、
われわれは誤訳をまぬかれぬことを、私の学問上の師は教えてくれたが、
そうであるならばいっそ、徹底的に日本語としては意味の通る誤訳たれ
という教訓までをふくめて、私はたたきこまれた。だから、その観点で、
この訳文に読まれる「ワシントン・スクエア西にある小地区」の情景を、
私は思い浮かべられないのだ。先に掲出した原文からは理解できるのに。
よって私が訳出を試みた。複数表記の"places"が一つのポイントである。
《 ワシントンスクエアの西に、入ると通りが複雑に入り組み、そればかりかどれも最後は行き止まってしまう、小さな地区があった。行き止まりの細い街路を「プレース」と呼ぶのは先刻ご承知のとおりだが、そんなのがさまざまな角度と曲線で絡み合うと、街はそれこそひと筋縄ではいかなくなる。そこに目をつけたのが一人の画家だった。というのも、画材屋がやってきたって、ここなら絵具や紙やカンヴァスの請求書をもってぐるぐる巡るだけで、1セントも取り立てられっこないのだから! [Copyleft (笑) 2007 anonym] 》
小地区が「「プレース」と呼ばれる区域に小さく分かれ」るのでは、ない。
文の主成分は、the streets have broken themselves into "places"だ。
行き止まってしまうがゆえにアヴェニューともストリートとも呼べない、
どの町にもあるそんな道がアメリカでは「プレース」と呼ばれるまでで、
あなたの町にもあるあの「プレース」のことです、と引用符が打たれて
いるだけなのである。そして(アヴェニューであれストリートであれの)
表通りから一歩、地区内に入ってしまうと、どう進んでも行き止まって
しまう迷路さながらの状況。この複雑なさまが端的に伝わりさえすれば、
あとは 自分の語感にしたがって少々「超訳」したところで、かまわない。
たかだか一段落、一語の解釈の違いだけで、傲慢な言い方にすぎようか。
だが、いま評判の亀山カラマーゾフ新訳(私は読める環境にないけれど、
氏はかつて私にとっては他流試合となるある機会に一聴衆として過分な
評をくださった思い出=「恩義」があるのでリンクでそれをお返しする)
にしたところで、私は存外、わかったつもりでいた小さな誤りの更新が
積み重なって全体の躍動感につながっている部分も多かろうと踏む者だ。
物語の舞台となったのは11月で、一枚のニセの葉が描かれた夜もこんな
だったのではと思われる霙まじりの風雨が、今夜も窓に打ちつけている。
※ 最終行はウソっぱちで、本項を思い立った昨夜のことが書かれている。
なお、画像は「プレース」がいっぱいあるウチの近所(Google mapより)。
(米国東部時間07日20時34分; 同54分 微修正; 同21時10分 再修正;
08日00時42分 再々修正)
コメント(2)
2007/11/09
もえぎ ◆「徹底的に日本語としては意味の通る誤訳たれ」 まぁ素敵なお師匠さんですね。 ◆うちの中3愚息の昨年のリーダー副読本に『最期の一葉』がありました。「お母さん 知ってる?これ やばい やばいよ」 馬鹿息子はこういった語彙しか発しないので凹む母ですが、、、。上記テキスト掲出を読み、このような冒頭だったとは私もまったく記憶にありませんでした。おおかたのこの時代の小説は情景描写からはじまるのが常ですから大事な冒頭部分ですね。anonymさん訳の「行き止まってしまう、小さな地区」の訳語のほうが結城訳よりもはるかに端的な表現で、その後に続くテーマを想う上でも、袋小路の街のイメージが瞬時に湧きます。 ◆以前、翻訳をしている知人に 「関係代名詞的修飾の長すぎる一文が、非常にまわりくどい内容で、大変に読みにくい。」 と率直に本音を伝えたことがありました。しかし、本文テキスト自体が、長文でまわりくどい文章だということなのでした。これは小説ではありませんでしたが、素人考えではもっとこなれた解りやすい文章に意訳してもらったほうが理解しやすい。翻訳家の方たちは、主題はもとより、文体自体も書き手の人となりを伝える個性として、せめぎ合いを苦心されているのでしょう。知人曰く、翻訳家は日本語に長けていないと駄目だねぇ とのことでした。
anonym 上の文中の恩師(大学での直接の指導教員で、いわば「正妻」)の翻訳には、いまも名訳の誉れ高いものがあって、翻訳以外の自分の文章にもおよぶような影響を受けました。他方、別の恩師(勝手に私淑した他大学の教員で、いわば「愛人」;このあいだ遊びにやってきたアノ男)は、余計な(?)意訳的配慮を嫌い、やや生硬でも原文が想定できるような訳文を好むため、むしろ後者と共同で仕事をすることが多い私は、「正妻」の思い出に囚われ、引き裂かれるような気分になることが間々あります。まわりくどくても、それが原文の特質ならそれさえも伝えるというわけですが、ところで、関係代名詞による修飾節の場合はしかし、目でも耳でも英米人は前から後ろへと認識するのですから、長ければ長いほど、単純に後ろから前へと係る「限定的」用法としてよりも、前から後ろへと続く「継続的」用法の観点で把握し、いったん句点で切ることもふくめて、さまざまな工夫をほどこす必要がありますね。文法力だけでなく、おっしゃるとおり「日本語に長け」ている必要もあって、私がいま教える立場になって教室で苦労しているところなのですが、まあこうやって一定、職業的に英語をあつかっている風の話を書きつけるにつけ、この米国短期滞在――このおかげで”Place(s)”の訳し方もわかったのですが(笑)――における会話(hearing/speaking)の苦労の、何と大きなことよと、あらためて…。(米国東部時間08日21時50分)


![「最後の一葉」を読みなおす [日記編]の画像](http://storage.kanshin.com/free/.s.200x200/img_37/371168/k2128300804.jpg)








