みんなのクチコミが 299,340 件!

新着

... もっとみる
ログイン | ユーザー登録(無料)

2007/12/14

KY、あるいはピエール瀧、もしくは落合博満

  • KY、あるいはピエール瀧、もしくは落合博満の画像

 KYと書いて、「空気が読めない」、と、どうやら読むらしい。そのことを、わたしは、つい最近になって、はじめて知った。そして空気が読めない、というその価値評価が、ある種の、蔑称として、今年(?)流行っていたらしい(どこで?、テレビで?)。

 むろん空気は読めたほうが良い。しかし空気が読めることだけで、妙に、価値があると、みなされてしまうことには、わたしとしては、受け入れがたい、と、感じている。空気など、読んだうえで、上手にはぐらかしてこそ、意義がある、と、わたしはおもっている。そしてそのはぐらかし方が、高度が高度でないか、巧みか巧みでないか、というところで、創造性を争うべきだ、と、わたしはおもっている。
 かつてピエール瀧がそうしていたように(そしてかのビートたけしが、その全盛期において、常にそうしていたように)。やはり空気など、はぐらかしてナンボのものだとおもっている。

 
 学校内のクラスで、いじめられてしまう、その理由とは、簡単に言ってしまえば、その子が、空気を読めないから/あるいは空気に溶け込めないからにほかならない。だから、空気の数だけ、いじめの理由がある、と言っていい。たとえば「萌え」という言葉は、「~萌え!」と言うことによってのみ、自己主張を意味するが(それを好むという意味合いの、自己主張をそれは意味するが)、しかしその自己主張は、自己主張でありながらも、しかし主語が、あからさまに、省略されているのである。つまり「~萌え!」とは、主語なき自己主張なのである。そしてこの主語なき自己主張を(そんな奇妙なものを)、成立させているベースとは、われわれが過ごした、クラスの空気感にほかならないのだ。つまり空気を読んだうえで、それに溶け込んだうえで、自己主張しなければならない、というのが、クラスの中での、暗黙の了解なのである(このルールに乗っ取るかぎり、われわれは、責任を追求されずにかむのである)。そしてこの暗黙の了解に、違反するものが、いじめの対象となるのである(無限の責任を負わされるのである。それこそ、イラクで捕らわれた、あの三人のように。イラクで捕らわれた、あの三人とは、超KY、ということだろう)。わたしたちは、クラスでのそのような関係の中で、空気に溶けこみつつ、わたしを消しつつ、(無責任に)「自己主張」する、という異様な在り方に、慣れすぎてしまった。だから「~萌え!」という、その言い方が、意味するところが、自然と、納得出来てしまった。しかし主語なき自己主張など、すさまじく異様なものだと、ほんとうは自覚すべきなのだ。その自覚が消えていることが、最早自然となってしまったならば、それは病として、末期的である、と、言わざるをえない。

 空気をベースとして、生じてしまう、そのようないじめにおいては、そのいじめそのものと、闘うことは、事実上、不可能であるということになる。なぜならその空気の中では、主語として(戦いの主体として)、立ち現れていることが、そもそも、禁じられているのだから。したがって、空気が読めず/空気に溶け込めず、いじめられている者を、もしも、誰かが、助けようとしたのならば、助けようとしたその者も、同様に、空気が読めない、ということになり、だから、即、その者も、いじめの対象となるのである。日本に限らず、世界的に、いじめは、問題となってはいるとはおもうが、しかしいじめを助けようとすることが、即、いじめの理由になる、というのは、世界広しいえども、日本だけではないだろうか。クラスのいじめは、どうしても、袋小路に至らざるをえないのである。

 だからほんとうは、ほんとうの敵とは、その空気にほかならないのだ。もしも、「闘い」が、ありえるとするなら、闘うべき対象は、その空気そのものにほかならないのだ。クラスのなかに、空気を読みつつ、その空気をはぐらかし得る、ひとりの「天才」(面白いやつ)がいたのならば、(つまりそのはぐらかしをもって、ギャグとしえる、ピエール瀧的な人が、クラスの中に、ひとりでもいたのなら)、そのクラスで、いじめが成立しにくくなるであろうことは、すぐに、想像出来るだろう。空気なんて、やはり、はぐらかしてナンボのものだとおもうのだ。
(ぬいぐるみを見て、「かわいいー」などと、まぬけな声を発しているだけの、空気動物みたいな連中ばかりがいたのでは、それじゃあ、いじめも、発生してしまうだろう。空気動物が、密集していたら、いじめは、いずれ。自然発生してしまうだろう。かつて電グルのコンサートでは、ステージの上に、ぬいぐるみを、わざわざ持ち出し、観客に「かわいいー」と反応させたその直後に、ユニホームを着た、ピエール瀧が、無数の釘が刺さったバットによって、そのぬいぐるみを、バチバチに叩きのめすという、きわめて高度なパフォーマンスを、見せていたようだ。しかしそれくらいの、ガッツがないと、とてもではないが、空気と闘うことなど、出来ないのだ。それくらいの、ラディカリズムがないと、いじめなど、なくなるはずはないのだ。瀧が、すべての負を背負って、そこまでやってくれるのならば、いじめなど、まったく必要ない、ということになるではないか。やはり敵は、空気そのものなのだ。喜んで、KYなど言いあって、揶揄している場合ではないのである。)

 細野晴臣に会っても、どんな大物アーティストにあっても、まったく、緊張することのない、ピエール瀧に、相棒石野卓球は、おまえが会って、緊張するのって、誰だよ、と、問いただしたそうだ。
 そして瀧はこう答えた。

 落合かなあ。

 爆笑し大喜びする石野卓球。

 だってさあ、三冠王三回だぜ、しかも落合記念館だぜ、普通自分で作るか?、落合記念館。


 空気をはぐらかす天才、ピエール瀧が、もっとも緊張する相手が、例外的主語的日本人落合博満であった、ということは、ちょっと良い話、という以上に、あまりにも、筋が通りすぎている、とすら言える。空気など、まったく無視して、創造的に、最短距離を歩もうとすること、それが、オレ流の神髄なのだから。
 瀧は、巧みに、器用に、空気をはぐらかすが、しかし落合博満は、空気を無視し、不器用に、おれの道を、突き進もうとする。その「落合記念館」的な率直さに、ピエール瀧をしても、たじろくほかなかったのだろう。
 落合は、おれよりすごい、と。

 落合博満は、その学生時代、何度となく、野球部からの退部を、くりかえしている。その理由は、上級生による、理不尽ないじめなのである。おそらく、若き学生時代の落合も、閉鎖的な野球部の中で、空気など、まったく無視したのだろう。あるいは、閉鎖的な、その体育会的空気に、溶け込む努力など、まったくしなかったのだろう。そんな意志など、まったくなかったのだろう。しかも落合が、おそらくは、その中で、一番野球が上手くもあったのだろう。したがってその際の、上級生たちによるいじめが、いかに激しいか、想像に、難くはないだろう。しかし落合は、それでも、まったくひるむことはない。自己の原理を曲げることは、絶対にしない。落合博満は一匹狼であることを貫き続ける。例外的主語的日本人落合博満の強さは、そうやって、育まれることになる。

 若い選手を、上手くしていくことに、唯一の喜びを見だした、引退後の落合博満は、中日ドラゴンズの監督として、なにかにつけて、「負けたらおれの責任」「勝ったのは選手のおかげ」という発言をくりかえすことになる。選手を上手くするために、徹底してしごくが、(それこそ森野選手は、文字通り「死ぬほど」、ノックを浴び続け)しかしそうである以上「負けたらおれの責任」であるし、また「勝ったのは選手のおかげ」ということになる。とても明解、とても筋が通っている。そしてそんな監督の在り方だからこそ、選手たちは、個々の個性在る選手のままで(個性を最大限保ったままで)、チーム一丸となることもできるのである(落合の理想は個性派集団)。だからチームは勝ち続け、勝って勝って勝って、勝ち続け、そして一番最後に、監督が男になる。最後の試合で、グランドの真ん中で、ほんの数回、監督は、宙を舞うことになる。それで充分なのだ。それがリーダーの至福なのだ。

「あいつらがおれをかっこよくしてくれるんだ」
 落合博満は、いかにもうれしそうに、選手たちについて、そんなことを言っていたこともあった。

 2007年、日本シリーズ第五戦、パーフェクトピッチングをつづけていた山井投手を降板させ、ストッパー岩瀬にスイッチした、その落合采配は、国民的な議論をよぶことになる。名将として、日本一に導いたにもかかわらず、冷酷采配と、バッシングすらされることになる。しかもそれを、KY采配と、軽薄に、揶揄するものすらいたのだ。

 落合博満は、感動の2007年日本シリーズを終えて(すばらしいシリーズだった)、問題の采配について、以下のように答えている。 
「公式戦だったら、と、聞かれても、本人がダメですなら変えていただろうな。それでいけとは言えない。これはベンチをあずかる人間にしか分からない」
「第三者はなんでも言えるよ。でも山井のここ(ユニホームの太股の部分)を見たら。みんながみたいのは分かるよ。分かるけど、血を流しながらよく八回まで投げきってくれた。本人がダメですといったらしょうがない」
「あれでいけと言って肩をぶっ壊したらあいつの野球人生終わり。まわりはその責任は感じないでしょ」
「度外視してるんだろ。人ごとだろ。山井のみにはなってない。おれだって完全試合を見たい。チームのみんなも見たかっただろう。でもわれわれには勝たないといけない使命がある。山井は来年再来年がある。それでなくとも右肩を悪くしてこの二年間放れないんだ。ここまで大事に使ってきて、最後に無茶するわけにいかない。不安をもってマウンドに行ったら良い結果はでないよ。それに岩瀬という絶対的なストッパーがいるからこそ、山井も、お願いします、と、いったんだろう。今は山井がアジアシリーズで使えるか、それが心配だ」

 選手のために、膨大な練習量を課す、落合博満は、しかし、絶対に、選手に手を挙げることはない。学生時代、殴られまくった落合博満は、しかしだからこそ、絶対に選手を殴ったりしない。鉄拳制裁など落合博満にありえない。
 中日時代の、選手落合の監督でもあった、熱血漢星野仙一は、落合について、こう語っていた。
 「オチはいつでもやさしかった」


 KYなどといって、采配を揶揄された直後、落合は、平然と、こう言っている。
「書かれるのは慣れてるよ」

 あらゆる損を引き受けながらも、ケロッとしている、やさしい男の孤高な強さを、わたしは落合博満から学んだ。
 わたしは絶対オレ流支持。

 ありがとう落合博満。おめでとう中日ドラゴンズ。
 (結局はこれが言いたかっただけかもしれないけれど。)

コメント(0)

まだコメントされていません。

  • コメントを書く

携帯でこのページにアクセス

KY、あるいはピエール瀧、もしくは落合博満

2次元バーコード対応の
携帯で上の画像を読み
取るとアクセスできます

トラックバック(0)

まだトラックバックされていません。

トラックバックURL
http://www.kanshin.com/tb/diary-1298511

空間内の日記を検索

room9

 映画や建築などを中心に、種々雑多に、批評まがいのものを、書いていきたいとおもっております。何卒、よ... もっと見る

  • 2012/01/15更新
  • 2004/05/22登録

ロケットニュース24

未来検索 ガジェット通信
ページの先頭へ ページの先頭へ