2008/03/12
村上春樹『アンダーグラウンド』
《ところが救急車の番号を押しても誰も出ないと言うのです。
そのときは怖かったです。》
また三月二十日が近づいてきた。別にそれが理由というわけでもなかったのだが、『アンダーグラウンド』を再読してみた。この本は、地下鉄サリン事件に焦点を当て、その被害者たちに徹底したインタビューを試みた本である。内容も去ることながら、村上春樹という一人の小説家があえてそのようなルポルタージュ的手法に取り組んだというのも興味深いことだった。きっと、彼の中では何かの必然があったに違いない。きっと、彼の書く小説作品にも深い影響を与えることになったのだと思うが、勿論それが顕著に現れているというわけでもない。というより、彼自身あとがきで書いているのだが、実はもともと彼はアンダーグラウンド的な何かに関心があったのだ(「やみくろ」)。
ともあれ、そんなわけでとにかくこの本は重いテーマをいくつも孕んだ本である。この本が出版されたのは、事件から二年経った1997年。そのとき、すぐに買って読んだはずだが、それからさらに十年以上が経って再読すると、そのとき以上になんだかぞっとした。ぞっとしたというのは月並みな表現ではあるが、本当にぞっとしたのである。あの日、東京の地下でそんなことが起きていたのかということが、事件から長い年月が経ったからこそ、あらためて重い事実として受け止められるような気がする。
こうやってインタビュー集としてまとめられたものを読むと、人間の生活というものは不思議なものだなあ、とあらためて思う。事件は同時多発的な事件として、いろんな人の人生の断面を暴力的に切り取っていった。多くの人が口にしているのだが、そのときその事件に巡り合わせたこと、あるいは巡り合わせたが軽症で済んだこと、それを「運が悪い」「運がよい(不幸中の幸い)」といった言葉でいろんな人が語っている。面白いことに、地下鉄に乗るのにも「いつも前から何両目のどこのドアのどこの席」といったようなことを自分の習慣として決めている人が意外に多いのだ。それが、たまたまその日に限って違う車両やドアに乗ってしまったこと、勿論、そういうささいなことも運命の分かれ目になったのだが。
そして多くの人は、そんな異常な事態に遭遇しながらも、日常生活をあくまで遂行しようとする。勤め先にはきちんと出勤しようとするし、仕事は支障なく進めようとするし、あるいはいつも買っている牛乳だってきちんといつものコンビニに行って買おうとする。日常は強い力で人々をそれに従わせようとする。事件自体もさることながら、その日常というものが持つ強い力に唖然とする。
その強い日常の力の延長には、作者が「二重の暴力」と呼んでいるものがある。つまり、日常に復帰しようとするその大きな力は、逆に日常に復帰できない者を異物として排除しようとする。実際、この本でも事件の後遺症によって仕事に大きな差支えが生じてしまった(場合によって職場を辞めざるをえなかった)人が登場する。勿論、そのようなことについて理解のある職場もあるのだが、すべてがそういうわけでもない。
日常という暴力。それに従わない者を排除しようとする暴力。その暴力が決して日本社会特有のものだとも思わないが、少なくとも日本社会にある程度顕著な現象であるということは言えると思う。実際、そもそものオウム真理教という教団を生み、そしてその団体をあそこまで追い詰めてしまったのも、そのような「日常に従わない者を排除しようとする暴力」がどこか影響しているのではないかと思う。
そう考えると、この本のインタビューに登場した人も含めて、彼らはその後、きちんと日常の流れの中に戻ることができたのだろうか。事件から十年以上経って、むしろそのことのほうが気になる。事件から一年二年であれば社会にまだその生々しい記憶も、そしてそれゆえの寛容さも残っている。それが今でも果たして残っているのだろうか。そして一方で、犠牲になった人たちの精神的傷やあるいは肉体的後遺症は消えていないかも知れない。社会は、あるいは日常という存在は、まだそのようなものに対して寛容さを残しているのだろうか。
この本を読んで伝わってくるのは、事件自体の悲惨さもさることながら、それを取り巻くもうひとつの暴力の大きさである。村上春樹が「二重の暴力」と呼んだように、事件の悲惨さばかりに眼を取られてしまうと、逆にどこか大きなものを見損なってしまうようにも思う。事件を取り巻く日常という暴力。いや実際、オウム真理教の人たちのほとんどはそのような日常という暴力が嫌であのような教団に入り、そしてそのような日常という暴力と戦おうとして(結果としてそれは実に歪な脱線をしたわけだが)あのような異常なテロ行為に辿りついてしまったとも言える。被害者にも加害者にも共通に見えるのは、そのような日常の持つ暴力性だ。
それにしても思うのだ。我々はいったい、あの事件から何を学んだのだろうか、と。いやそもそも、あの事件はいったい何を残したのか。やはりあの暴力的な日常という力がやってきて、あの事件についてきちんと検証されることもないまま、それを日常の流れの中に回収してしまったのかも知れない。そして、そのような日常の流れから取り残されたものはやはり、そこから暴力的に排除されているのか知れない。いや、だとしたら、それはあの悲惨な事件が起きた遠因は何も変わっていないということなのだ。




