2008/03/17
最近のこととばあちゃんのこと
さいきんのこと。
一昨日、晩ご飯を用意していて、お魚焦がした。
トースターに並べてぐるっとタイマー回して戻ってきたら、白い煙が天井にもくもくもく。
動転して発した言葉はなぜか軍人風。
「こがしたであります!」「くさいであります!」
慌てて父と換気に走った。
昨日、午前中、雛人形を片づけた。
昼食後、母が慌てて雛あられの封を切る。「今日食べな(あかん)!」いやそんな。
その後、苔むしり。
植えた苔の間から生えてきた、強い苔をむしる。なんだかなー。
背中ぽかぽかとあたたかかった。
14時過ぎに車で出かけ、母方の祖母と父方の祖母に会いに。
母方の祖母は帽子製作中。またつくり方教えてもらおう。チューリップハットがいいな。
父方の祖母は、近頃咀嚼がむずかしいらしい。
かむことも、のみこむことも、食べ物を口元にもってくることも、(たぶん消化することも)
特別な能力なのだ。
光を感じることも、音のするほうを見ることも、
気持ちいいと感じることも、不快だと感じることも、
ひとつひとつがすばらしい。
人間の認識についての授業をうけたとき、「人ごみで知り合いに自分の名前を呼ばれ、それに気付くこと」は実はすごいことなんだよ、という話を聞いた。
たくさんの声の中から、自分の知っている声を選び取り、
たくさんの言葉の中から、自分の名前を聞き取る、
その複雑な認識を、人間は瞬時に無意識のうちにこなしてしまう。
人間ってすごいなー。
とそのときはただただ感心。
その後、障害児教育学を学んで、子どもと接して、ばあちゃんと接して、
・・・なんか変わった?変わった。確かに変わった。
でもどう言葉にすればいいのかわからない。
ばあちゃんの咀嚼能力が落ちてきていること。
ばあちゃんの声が最近聞けていないこと。
肌は驚くほどすべすべで、髪の毛もなんだかふわふわとたくさんある。
左半身が縮こまりやすくて、手はほっとくと握ったままになってしまう。
その手をこじあけて自分の手を握らせ、手や顔をさする。
髪の毛が顔に当たると、眉間にしわを寄せてすごく不快そうにする。
そのときの表情の変化が、家族には嬉しかったりする。
家族。でも週に一回会いにくるだけ。
思い出記憶装置。わたしはおばあちゃんとの20数年の思い出を記憶している。
子どもの頃の話、女学生の頃遭った神戸大空襲の話も、すこしだけ記憶している。
お父さんは、育ててもらってきた記憶も。
お母さんは、いじめられたときの記憶も。(ばあちゃんは基本、きっつい性格でありました。孫にはべたあま!)
つないでいく者なのだな、自分は。
DNAの本能だか何だか知らないけれども、わたし自身が、そういうものなんだな。
ばあちゃん自身は、それで満足なのか、家で暮らしていたかったのか、何なのか、知れない。
そうなったときは、もう「そう」で、確かめようなんてなくて。
ひとの本心なんてそうわかるもんでない。
でもひとの心が、ひととの関係においてのみ存在するものだとしたら。
あー、わからなくなってきたー。こんなこと書くつもりではなかったのにー。
ばあちゃんの隣室の「ひでちゃん」というおばあちゃんが、なんだかとてもすきということ書こうと思ってたのにー。
とにかく、一度でいいから、ばあちゃんともいちど言葉を交わしたい。
なんかさっきからずっとそう思っている。
交わせたからって、何がどうなるの、とわかってはいるけれど、でも。
大学の頃、「宇宙と交信できる青梅ちゃん」と評されたことがあったけれども、
できないかな。
なんて。
そんなこんなで、最近は家族と過ごす時間を大事にしてます、というかなんか依存してる気もする、自立せよ!(思わぬ急展開)
失うのが、すごくこわくなってしまった。
たぶん、ちっちゃい頃は本能的にこのこわさを知ってた。感じてた。
物心ついてから最近までは、・・・忘れてたのか?なんだろ。
あと、友だちの提案をいただき、車の中で落語を聴くようになった。
図書館で借りてきた、米朝さんの落語。
今聴いてるのは「帯久」と「天狗さし」。
あほ~な奴の声がすんごいうまい。意地悪いのも、風格あるのも、冷静なのも、表現が的確ゆえ噺に集中できる素晴らしさ。だけどあほ~なのがほんまうまい。
素敵だ。。。
中学生用のブックリスト、明日のうちに仕上げて渡さなあかんのに、フォントで迷い迷い。
どうすればうるさくならないか、のぺっとならないか。
書体変え、色変え、サイズ変え、枠いれ、色付け、これでいいか、さっきのがいいか。
明日は、クラス授業最終日。あ、テキストの方の予習もしてないやん!
そして明日は公立の合格発表!ああー、うかってますようにうかってますように!!
コメント(4)
2008/03/18
白狐 いいものですね、家族との触れ合い。俺は祖母とは幼い頃に死に別れ、一緒に過ごしたのはほんの数年でしたが、そのわずか数年でもとても中身の濃い記憶があります。自分が見た光景や、友達と過ごした一瞬といった思い出記憶装置として俺の場合写真を撮っている気がします。そう言えば、日本は卒業の季節でしたね。最近ここは曇天と低温で時が止まった錯覚を覚えます。ここでの生活は楽しんでいますが、今年は桜が見られないことが非常に残念です。この数年、京都まで桜を見に行くことを習慣としていたほど好きなんです(笑)
青梅 短くとも濃い記憶・・・きっと、白狐さんのおばあさんは幸せだったんだろうなぁと思えます。ひとの事だと、こうやって良いように思えるのに、身内だと何だか、すんなりと良いようには考えられなくて。写真って、撮るときの動機というか、気持ちがシャッターを押す一瞬にこめられている気がします。撮ってたときの自分の気持ちも見えるような。ああ、だから思い出記憶装置になるんですねぇ。イギリスって、桜はないのですね!いまは梅で、4月入ったあたりで咲きそうです桜。関西に住んでいても京都ってけっこう遠いのですが、習慣とは!(笑)残念ですねぇ・・・
2008/03/19
白狐 祖母は癌でした。俺は小学生で二年生に上がる直前でしたから、20年近く前になりますね。「死」という概念はその時初めて経験しましたが、不思議なことにいまでも祖母の存在を身近に感じます。もし祖母の死がもう少し後だったら、ただただ悲しさだけが残されたと思います。余りに幼すぎて、「死」というものが理解できなかったんですね。俺が写真を撮る動機はいろいろですけど、ネットで日記を公開する際、読む人にとって最も情景を伝えやすいから、というのが実はそもそもの始まりでした。まぁそれがきっかけで、いまでは何種類も機種を使ったり、年末なんて無理をして極寒の中夜景を撮りに行って高熱で倒れたり(笑)お祖母さん、大事にしてあげてくださいね。俺にとってはすごいうらやましいことですよ。あ、こっちにも桜はあるみたいですけど、うーん…どうなんでしょうね(笑)
2008/03/22
青梅 お返事遅れてごめんなさい!そうだったのですか・・・。わたしは生まれたときから祖母・父・母・兄・自分の5人家族で、ちょうど昨日が祖父の33回忌の法事でした。母方の祖父母は元気そのもので、伯父伯母も健康で、そういった身内や友だちといった、身近で親しくしていた人の死を自分は体験したことがありません。うけとめることができるのか、漠然と不安です。なくしても、白狐さんのおばあさんのように、存在を身近に感じられたらいいなと思います。
文章は意図が伝わることを前提として書かれることが多い気がしますが、写真は見た人の思うように感じて、それでいいのですよ~というおおらかさがある気がします。いまのプロフィールの写真、濃いセピアがきれいですねぇ。中央の樹の葉の光のところだけ雨が降ってるみたいです。
青梅
関西の山奥在住。 時折、長文日記を書きに下山してきます。 生業は教育関係、いつかはそこに絵もく...
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- http://galle.hacca.jp
- 2008/04/25更新
- 2006/03/24登録










