2008/04/17
1:19 pm サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝を愛する理由はいらず
人生方程式<人生=損得+好き嫌い+原理(快楽、汝)>なるものを先日、編み出したがその続きである。ここに原理(快楽、汝)なる原理関数が(自分でも)なんのことやらようわからん。
そこで、快楽と愛(←汝とあるからには愛が問題となるだろう)の関係を究めるべく、「快楽と愛の関係を問う」→「快楽無しの愛は存在するか」なる質問をアバウトミーした。そこで、お喋りしているうちに
目的と手段という構造にどうしても捉われてみたくなるのですが、自己満足が目的だとすると愛が手段ということになります。しかし、自己満足は愛にたまたま付随する現象と見るとそうではないようにも思えます。つまり、問題は目的なしの愛があり得るかどうか(あるいは、見返りなしの愛があるか)ということになるように思います。どんなもんでっしゃろ
つまりは、愛することに目的や理由が必要かということが問題なのだと分かった。
さあ、どうすると考えて、ここは世界肯定(愛)教のスピノザにお出ましを願おうと自分のブログを検索したら
とすれば、「自己と他者の揺らぎを楽しみ何事も楽しもうとする態度」が遊び心ということになる。そして、この遊び心が
(1)自分をゆるす(自己肯定→安らぎ)
(2)神と世界をゆるす(運命に振り回されない)
(3)人間をゆるす(他者との協調)
(4)社会をゆるす(社会に寄与)
というスピノザの赦しの哲学にもつながる。
つまり、肯定(愛)の基盤のひとつが遊び心になると俺は連想ゲームを楽しんだのである。
と、ちゃあんと書いておった。つまり、愛することに理由は要らない。遊び心があればいいのだ。そして、遊びなのだから遊び自体が目的だ。
かくして、快楽無しの愛は存在する。それは遊び心だ。原理(快楽、汝)とは遊び心のことであったのだ。
サキサキとセロリ噛みいてあどけなき汝を愛する理由はいらず 佐佐木幸綱
人間は、遊び心を基本原理(快楽、汝)として損得と好き嫌いとに揺らぐ生きものである。そして、世界を肯定するのに理由は要らない(人生は遊び場なのだから)。われわれは世界を否定する理由を語りすぎているだけなのだ。
※写真は佐佐木幸綱。俵万智の歌のお師匠さんである。
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音楽は世界への愛理由なく目的もなくたゞ聴き惚れてをり
- 株と思索と短歌のサイト | Tracked: 08.4.18 9:03 am
音楽は世界への愛理由なく目的もなくたゞ聴き惚れてをり 人生方程式<人生=損得+好
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