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2008/06/24

蜂巣敦『殺人現場を歩く』

 最近も妙な事件が多いが、しかし妙な事件は別に今に始まったことではなく、昔からあった。この本は、世の中で騒がれたような有名な殺人事件の現場を歩きルポルタージュするというもので、写真もついているのがなかなか生々しい。読んでいると、「ああ、確かにそんな事件があったなあ」と妙な感慨に駆られる。僕がまだ学生の頃の事件などもいくつもある。宮崎勤は先日死刑になったばかりだが、あれはまだ僕が学生の頃の事件。この本の中でも、その現場を歩いている。ちなみに、彼の一家が住んでいた家は今では駐車場になっている(勿論、この本が書かれた時点での話だが)とある。
 考えてみれば、ここで取り上げられている事件は東京もしくはその周辺ばかりのようだ。東京の近郊の町というのは時々、ぞっとするくらいに寒々しい風景を見せることがある。あれは一体何なのだろう、と時折思うのだけれど、何か人々の夢のようなものがむしろ掠れた人工物となってずらりと並んでいるような、そんな印象だ。根底に横たわった夢は、むしろ悲しさや淋しさや怒りや諦めや、そんなものがうっすらと重なって覆ってしまい、かえってなんだか侘しく感じる。
 そのような東京郊外のことを、この本を読んでいて強く思った。いや、勿論、事件は郊外の事件ばかりではない。だが、郊外の事件のことがなぜか深く印象に残る。いや、都心で起きた事件だって決して郊外と無関係ではない。多くの人は郊外に住んでいて、そこの場所に帰っていくのだ。
 勿論、風景が犯罪を規定しているわけではない。ましてや、風景が犯罪者の狂気を規定しているわけでもない。それでも、思うのだ。東京の郊外に、それぞれの小さな不思議な王国のようなものがあって、それが日々蠢いているのだ、と。そのうちのいくつかがたまたま狂気に走り犯罪として露見しただけで、実は少しばかり歪んだ王国ならいっぱいある。いや、勿論、狂った王国ばかりではない。幸せな楽しい王国もたくさんあるはずだ。しかし、そのような王国とそうでない王国が、それぞれの小さな面積を占有しながら犇めきっている様を想像するのは、やはりどこか不気味だ。殺人事件が起こった家。しかし、それは特別な場所というわけでもなく、歩いていると見落としそうな普通の町の一角にある。しかし、そこには誰も知らない王国ようなものが出来ていて、本当に日常生活の隣のようなところで狂気が行われていたりする。かと言って、そのような狂気自体を郊外という場所に結びつけるつもりはない。ただ、なんだか小さな王国のようなものがもこもこと蠢いている、そのことはあの東京郊外に広がる風景を見ているとつくづくと感じるのだ。
 事件が起こったのが都市郊外でなく田舎であれば、慰霊碑のひとつもできる。逆に都心の事件であれば(この本でも触れられている東京駅の事件が典型的なのだけれど)花すらもすぐに捧げられなくなり、人々の記憶からも用意に消し去られていく。それが郊外だと、慰霊碑はできないにしても、花が捧げられたり、あるいは少なくとも人々の記憶には残っている。郊外での事件が不気味に感じるのは、物理的な形跡はほとんど残さないにも関わらず、人々の記憶にはしっかり残っているところにあるだろうか。過去を一掃したいのであれば、いっそのこと都心のように記憶からも無くなったほうが後腐れなくていい。郊外の事件の不気味さは、物理的には消し去られ(つまりきちんと慰霊するわけでもなく)ながらも記憶には曖昧に残っている、そのような曖昧な状態にもある。そしてこの曖昧さは、東京郊外が全体として持つあの雰囲気と確かにどこか通じてもいるのだ。

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