2008/06/25
永ちゃんの告白。
ぼくは新宿ニューACBで招待客とプレス用に行われたキャロル「デビューコンサート」を見ている。
調べると1972年10月28日のことだ。
そのときもそれからも 矢沢永吉を同じ世代と考えたことはない。
キャロルのメンバーの中でどう見ても彼だけはかなり年上の印象だった。
ところが公式プロフィールでも
1949年9月14日 広島生まれとなっている。
違和感はながいあいだ保たれ続けた。
ところが昨日
たまたま aahi,com を眺めていると
「矢沢永吉の仕事力」という頁があって
そこで 彼は
《 ほら、人間は何度も生まれ変わると言うじゃないですか。このたび僕は、キャスティングによって矢沢永吉になったわけ(笑い)。
室町時代にも江戸時代にも何かやっていて、さあ昭和20年。今度はお前、矢沢永吉をやりなさいとこの世に送り出されてきた。
「生活保護受けて、苦労して広島から夜汽車に乗って上京し、やがて世紀のロックンローラーになる役さ」ってね。悪くないよね。
「でも途中でオーストラリア事件とか、いろいろ苦しいことも起きるけど、まあ人生を楽しんでこいや」って。
あんまり苦しかったから、パーンとそんな考えが浮かんだのかも知れない。
それから僕の嫁さんも含め、周囲が言うのね。矢沢なら返せない金額じゃないよと。
そこから僕はライブやって、やって、やって、ある日借金はゼロになってた。》
・
そう語っていた。
昭和20年とは1945年のことだ。
1945年 つまり敗戦の年の生まれなら
「ああ、なるほど」と腑に落ちる。
しかし、、、妙なことが頭に浮かんだのも事実だ。
仮に1945年9月14日なら
その日、広島市内は出産できるような状況だったのだろうか。
それにしてもこの記事をまとめた取材記者は 自分の口から昭和二〇年生まれとカミングアウトしているのに
下部のプロフィール欄では
【やざわ・えいきち ●歌手・作曲家。1949年広島県生まれ。】と相変わらずのデータを記す。
莫迦じゃないのか/笑。
・
長い間の疑問が氷解したから日記に残した。
コメント(3)
2008/06/25
Poughkeepsie 1945年9月14日の出産については(廣島市中心は別として)、周辺の町なら十分可能だったと思います。が、仮にサバを読んでるとして、何故E.YAZAWAはそれを必要とするんだろうか? 不思議です。
2008/06/26
雲衣。 新宿ニューACBでキャロルのデビューを見たときぼくはその月に23歳になったばかりでした。プロフィールによれば彼は前月23歳になったはずです。でも、どうしても同い年には見えなかった/笑。
そしてサバを読む必要と必然性は十分ありました。『NMM』誌 1972年12月号のランダムノーツ欄に書かれたプロフィールにあるように《メンバーは、内海利勝(リード・ギター、ボーカル。19歳)大倉洋一(ギター、ボーカル。22歳)矢沢永吉(ベース、リード・ボーカル。23歳)石崎隆友(ドラムス、21歳)。 レコードはミッキー・カーティスのプロデュースで、12月20日にフォノグラムからシングル盤を発売する予定。》 初々しくデビューするはずの新進ロックバンドのリードボーカルが実年齢の27歳では薹が立った感じが否めなく新鮮さに欠けるからでしょう。当時の芸能界ではそれ(サバを読む)はごく当たり前のこととしてミッキー・カーティス氏が提案したのではないでしょうか。 日本のロック・シーンはキャロルの登場を機に一挙に「芸能界」化していったとぼくは思っています。 広島市の出産可能性に関しては【原爆で約十四万人を失い、昭和二十年十一月の人口調査では十三万六五一 八人と激減した。】事実があるだけで不可能ではなかったと/笑。
Poughkeepsie なるほど、納得。それにしても、デビューコンサートに立ち会えた雲衣。さん羨ましいです。彼は例の商売人糸井重里のインタビュー「成りあがり」で、ミッキー・カーティスにぼられたことをあからさまに罵ってましたっけ(笑) 私の母方の祖父は中心部で即死、父方の祖父は市内で被爆後数週間苦しみぬいて死んだそうです。幸い間借りの実家は図の周辺部白い部分にあり、祖母と復員してきた父と近くの公園で薪の調達にも苦労しながら荼毘にふしたそうです。
トラックバック(1)
ホームページもリニューアル。新商品も追加
- プリ面ぐるみ神戸店 | Tracked: 08.6.26 10:50 pm
写真とぬいぐるみのコラボレーション。お友達の誕生日のプレゼントやご出産のお祝いにも大変ご好評です。 どうぞよろしくお願いします。
- トラックバックURL
- http://www.kanshin.com/tb/diary-1483010



