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2008/07/16

福富健男『風景』

 農夫と交わす言葉の間に霧むすぶ
 金魚買う湖水に友等の憎めぬ顔
 掌の厚み丘にびしびし多肉植物
 いくにちも赤い絵の馬がある街
 ひろしまのあさながい匙を雲にさし
 ぜんまい先にぜんまい先に河童ううん
 青柿育つ屋根裏部屋に母と猫
 梅雨空へあじさいと鶏走りだし
 洗骨のテッポウユリが咲きました
 みんなあつまるなんばんぎせる手に
 巣づくりもせず夕焼雲に紛れこむ
 埋めきれぬ時間大きな蟻がいて
 潮の光の石段のぼる帰省の夏
 芽生える視力進化の時間を圧縮して
 尖塔へ椿いっせいに叫びだし
 桃咲いて宇宙飛行士の筋肉減り
 子守唄ぶつぶつ切れの蕎麦を食う
 絵具のように病む草間弥生かな
 妻と来てぬぬっと沼に呼吸根
 
 福富氏は七十二歳ということで、句歴も長い。その長い句歴から選りすぐられた句を集めた一冊なので、なかなか珠玉の句が並んでいて楽しめる。これは時代の問題もあるだろうし、後は作者自身が若いということもあるのだろうが、初期の作品になかなか興味深いものが多い。線が先鋭というか、時代と若さが交錯した何か鋭利なものがそこには横たわっている。時代で言うと、一九六〇年代を中心とした頃なのだろうけれど、前衛運動的な先鋭さと、それから戦争が残していったイメージの残像(それは残像ゆえにむしろイメージとしては純化作用を経て強烈になっているのだが)、そういったものがこの時代のさまざまな作品の上でスパークしているような印象がある。それは俳句だけに限った話でもない。ここに並べた句でも、最初のほうの句には何かそういった印象がまとわりついている。これはおそらく世代独特のものだと思うのだけれど、子供の頃に戦争に触れた人々だけが持ちうるのだろう造形力なのだ。その人たちが成長し、一九六〇年代、あるいは七〇年代になってさまざまな文化創造に携わる年齢になった、ということの帰結が、あの時代特有の色に繋がっている。
 福富氏の句も、これは穿った見方かも知れないが、その時代の句をいつまでもどこかに反響させているような印象があって、時にそっちの方向に戻ったり、また違う方向に向かってみたり、と彷徨っているような気がしなくもない。いや、確かにイメージ造形力の強さで言ったら、あの時代を越えるものはその後にないのかも知れない。八〇年代、九〇年代、そして二〇〇〇年代と、きちんと時代固有であるイメージの核のようなものを持ちえただろうか。福富氏の句を並べた時に見られる不思議な迷いのようなものは、実は時代自体の迷いでもある。そこでは、時代自体が躊躇いがちな自問自答を繰り返しているのだ。

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