2008/07/22
「人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず」。。。 澄江堂 遺書より
芥川龍之介の喪われたと考えられていた遺書が
再発見されたという
『侏儒の言葉』に
「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦莫迦しい。重大に扱わなければ危険である。」
と記した彼に相応しい 子どもたちへの言葉だ。
「さりながら、死ぬのはいつも他人なり」は M.デュシャンの墓碑銘だが
生きている限り人生は戦いだ、、、。 自死した我鬼窟にとっても 誰にとっても
コメント(2)
2008/07/23
もえぎ 大正15年、一週間のみで終わった昭和元年(12/25-12/31)の翌年が1927年。折りしも明日が<河童忌>。 ◆既に3人の子持ちの35歳、子に宛てた「若(も)しこの人生の戦ひに破れし時には汝等(なんじら)の父の如(ごと)く自殺せよ。但(ただ)し汝等の父の如く 他に不幸を及ぼすを避けよ」 の文も気になりました。 「昭和元年、胃潰瘍・神経衰弱・不眠症が高じて再び湯河原で療養。1927年1月、義兄の西川豊が放火の嫌疑をかけられて自殺する。このため芥川は、西川の遺した借金や家族の面倒を見なければならなかった。」と、ウィキにもありますから実生活と精神面での切迫に疲弊していたのでしょう。 ◆時代は下り1999年7月21日、「一卵性夫妻」とも言われた妻に先立たれた脳梗塞の江藤淳の自死。 「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る6月10日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。」http://meigen.ivory.ne.jp/meiku/... こちらは、内容も知らない無知な若者(私)に、西早稲田穴八幡下:アテネ書房のM氏がメッタ斬りして江藤を嫌っていた刷り込みもあって、軍国日本人の文章のようでなんとも受け入れ難く、つまりは、江藤は愛妻への追随か、、、そう想うと安易なりとも芥川株が上がりました。
2008/07/24
雲衣。 ぼくは死の遠因としてなんとなく片山廣子が気になります。。。。



