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2008/09/07

ところざわでみたもの

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「作家が主体となり、自立した場で展覧会をしたい」。そんな思いをベースにした所沢ビエンナーレ・プレ美術展「引込線」を31日のシンポジウム、7日の展示見学ツアーと二度見てきた。

シンポジウムは本音がむき出しだった。

「美術館が増え、学芸員も増え、作家はいいく条件で作品展ができるようになったはずなのに、居心地の悪さを感じる」と彫刻家・遠藤利克は言う。バブル後、コマーシャリズムは強まり「作品が売れるとか、集客力があるかとかが指標になってしまった」。一方で美術思想は弱まり「水平方向に上滑りしているだけで、思考性はぽっかり欠落。掘り下げようとしる垂直軸が弱まっている」と。

多摩美大教授であり府中美術館長の本江邦夫の言葉はもっと苛烈だ。「おしめをしているようなアーティストが一発当てると作品は10倍にもなり、モノが値上がりする喜びを覚えたディーラーのようになっている」

こうやって書くと、彼らのいらだちの源というか、批判の向かっている先はおおよそ理解できよう。

戸谷成雄は「人間の存在を問うという美術の普遍的価値がなくなるはずはない」と語る。彼にとっての彫刻とは、「私」とそれから離れない「影」との関係性だという。ところがフィギュアなるものは、典型的な彫刻の作品ながら影はバーチャルな存在であって、作られる根拠の立ち上げ方がまったく違うと指摘する。

ツアーでの解説は埼玉近代美術館のボランティアガイドが担当していたが、これがなかなかレベルが高い。いろんな着眼点を引き出してくれるし、作家にも自作を語らせる。自分で見たときはパッとしないと思った作品でも、目からウロコが落ちるような。そんな一点が、木村幸恵の「私幽霊、ところざわ」。透明であり、存在自体があやふやな包装用のラップで自分の顔や体のラインをかたどり、宙に浮かせて風でゆらゆらさせる。自分と幽霊の中間のような存在だという。

シンポジウムでの峯村利明の言がツボを突いていると思えた。

今、美術を取り巻く状況の何が疲弊しているかといえば、「作品」だ。作品が作品であろうとする意志。人間の内面と結びつけ、内なるものの表出とみる人間主義をどれだけ超えられるか。人の存在の強い問いかけを感じさせる「作品」となりえているのか・・・・・・と。

つまりは芸術そのものの自立性が打ち立てよ、ということだろう。

全体として意欲的であり、いい出来の美術展といえる。町おこし、地域おこしと、副次的な効果を期待して実施されるアートイベントも少なくないが、美術そのものの価値に目を向けようとするところに、心地よさを感じるからなのだと思う。

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