2008/11/03
創作と性急の間で。
気持ちにゆとりがないと、時間に余裕がないと、どうしても性急になってしまう。大作家さえ、無縁ではない。
エドゥアール・マネ(1832-83)に『皇帝マクシミリアンの処刑』(1867-68)という大作がある。共和制を信奉するマネが、自らメキシコ皇帝に据えながら見殺しにしたナポレオン3世を痛烈に批判した作品とされる。いずれもオルセーに所蔵されている、この前後に描かれた『笛吹きの少年』(1866)や『バルコニー』(1868-69)を思い起こせばサイズ(252×305cm)は桁外れ、テーマもきわめて異質だ。
この作品が、フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)の『マドリード、1808年5月3日』(1814)に触発されたものであることはよく知られている。こちらはナポレオン・ボナパルトのフランス軍に対して蜂起したマドリード市民の悲劇を描いたもの。スペイン絵画の頂点にいるゴヤもまた、目のあたりにしたものへの怒りから自由でなかったということだろうか。
年齢のせいだと思っていた。
手塚治虫(1928-89)晩年の『アドルフに告ぐ』(1983-85)はヒューマニズムのたがが外れ気味で、メッセージ性の強い作品となった。体調不良から、後半のエピソードは大幅にカットされたという。それでも、ラストのユダヤvsパレスチナのシーンでは、主張がそのままト書きになっていて驚かされた。
黒澤明(1910-98)の「八月の狂詩曲」(1991)は、被爆地・長崎の夏休みを描いていた。祖母が孫たちに語る言葉、それにあの“ピカ”の表現はどうだろうか。リチャード・ギアの起用も、どうしてもその政治姿勢にほうに目が行ってしまう。
しかし、すぐさまチャップリン(1889-1977)には「独裁者」(1940)、ピカソ(1881-1973)は『ゲルニカ』(1937)を持つことに思い当たれば、さすがに“時間がたりない”わけではないらしい。いずれもすでに歴史の一部だが、他の代表作と比較するとき、やや精彩を欠いている気がするのは私だけだろうか。
「ポニョ」の酷評にふれ、ふとこんなことを思った。Not so fast. 性急になっていなければよいのだが・・・(敬称略)。







四月の旅人


