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2008/11/07

仙田洋子『子の翼』

 みごもりのからだけむたし藤の花
 よろこんで名月を蹴る赤子かな
 夕ざくらながめて粥をつくりけり
 花菜買ふ安房をまるごとつつむ雨
 雲の峰はひはひの子をはなちけり
 夏座敷たちまち嬰の王国に
 涼風に突き当たりたる子供かな
 十六夜のどつかと笑ひ仏かな
 その恋を断てと狐火あらはるる
 悪相の白鳥残りゐたりけり
 大空のすこしを使ひ囀れり
 海峡のてふてふ淋しくはないか
 初蝶のひらひらしすぎではないか
 古き雛眠らすやうに流しけり
 春の虹つみきのあそびねむくなる
 虹の根を探しにゆきし子供かな
 夏木立マグリットの馬探しけり
 寒晴や鳥は傷つくために飛び
 木登りの女王となりて夏の雲
 太陽の一喝サーフィン崩れけり
 アロハシャツ青年の肉びつしりと

 うちの息子もちょうど一歳を迎えたが、この一年間は息子を素材とした句を僕もよく読んだ。そして、この句集でもこの著者はやはり自分の子のことをたくさん詠んでいる。なので、ここにある子供を材とした俳句にはいろいろと共感してしまう。吾子俳句と呼ばれることもあるこの種の俳句は、実際に子供を持ってみないとなかなかわかりにくいところもあるのは事実だろう。少なくとも僕自身はそうだった。そう感じたのは、あの有名な「吾子の歯生え初むる」の句について、だ。この句としては昔から勿論知っていたが、自分の子供の歯が生えてきた時、本当に初めて「あっ」と思った。その時、初めてあの有名な句の何かがわかったような気がした。いや、それもひとつの思い込みなのかも知れない。しかし、その時、読み手としての僕自身が抱く何かは確実に変わったのである。
 俳句の場合、何かの強い感情を詠むということは実はあまり好まれないような気がする。例えば恋や愛の句もないわけではないのだが、しかしそのような系統の事柄はむしろ短歌の方が得意としているようにも思う。そう考えると、吾子俳句は俳句という領域にしては珍しく、生々しい感情をストレートに対象とする俳句の一群である。このような句はある意味難しい。少なくとも実体験を持っている人にとっては共感しやすい。しかし、どこかステロタイプになりがちなところもあるし、それだけでなくどこか暑苦しいというか、「詠み手が思っているほど読み手には感情が伝わらない」という、あの俳句一般に当てはまる法則がここでも作用する。読み手にとって、詠み手の感情がいささか過剰なものにも感じられるのである。
 ただ、感情という話を抜きにして、淡々とした花鳥諷詠的な対象としても実は子供という存在は面白い。あんなに面白い行動をするものはない。客観的な「写生」の対象物としても、それはなかなか面白い可能性を持っているのだ。掲句で言えば、「はひはひの子をはなちけり」という一句は面白い。確かにあれは、「はなつ」という感触なのだ。吾子に対する愛情は当然の感情だし共感も呼びやすいが、ステロタイプになったり読み手には過剰に思えたり、という欠点もある。とすれば、吾子俳句のひとつの可能性として、そのような「写生」の対象としての子供、ということもあるように思う。

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