2008/11/20
篤姫の最期
NHKの大河ドラマ「篤姫」も、残す所あと1月。
ところで、その篤姫の命日が11月20日である、などというは、あまり「今日は何の日」でも見かけない。亡くなったのは明治16年のことである。たまたま明治時代の朝日新聞(当時は大阪でのみ刊行)を見ていると、11月22日付け二面の欄外に「○昨日午後九時東京通信者の電信に云徳川天璋院には卒中症に罹り昨二十日午前八時に御他界ありたり」とある。これは今でいえば、締切り後、新聞を刷っている最中に入ってきた最新ニュースという扱いだ。
それでは、天璋院さんの「卒中症」とはどんな具合だったのか。その詳報は同27日付の一面に載っていた。「去る十七日頃とか千駄ヶ谷のご住居にて御湯を参らせし節御湯殿にて誤ちて躓かせ玉ひしが俄に劇(はげ)しき中風症とならせ玉ひ其後外国の医師ども召して種々御療養の手を尽くさせ玉ひしが其甲斐も無く去二十日の午前八時に逝(かく)れさせ玉へり御年四十九と申す」。
つまり、入浴中に躓いて打ち所が悪かったか、脳出血を起こした、ということらしい。
句読点なく続く当時の新聞記事だが、篤姫の略歴をかいつまんで書いてある。
「前号に逝死の旨電報を掲げたる徳川天璋院殿と申すは従三位徳川家逵(いえさと)君の高祖母に当らせ玉ひ御名をば篤姫と申し故松平薩摩守斉彬卿の御女にして近衛殿の御養女となり安政三年十一月十一日の御入輿(ごじゅよ)にて将軍家定公の御台所と仰がれ玉ひ同五年七月七日家定公御他界(温恭院殿)ありし後は天璋院殿と申し明暮れ前将軍の御菩提を弔はせ玉ふのみ其後世の中の事様々に遷り変りしが其等の事には御心も留め玉はず只管後世をのみ願はせ玉ひ諷誦読経の外は他念もましまさず斯く御行ひのいみじきのみか下々を憐れみ玉ふ事も深ければ仕へ参らする者も御恩に感じて主従と申すよりも寧ろ母子の如く思ひ参らするが多しと聞けり」とある。
読経三昧というのでは、大河ドラマの40回位以降の流れにならないわけだが、当時の人たちが見ていたのは、そのような形であったようだ。
因みに、葬儀は12月5日。「午前七時の出棺にて兼ねて定めの道筋を上野へ」と行き、「ご葬儀の式は総て旧将軍家御台所御葬送の古例に準ぜられ」たという。その御棺は50人の輿丁(よてい)に担がれた、というから大層なことではあったようだ。
昔の新聞って、いろいろなことを書いていて一寸面白いかも。
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