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2008/11/25

小川洋子『刺繍する少女』

  《ボランティア室はすっかり片付けられ、糸屑一本さえ落ちていなかった。》

 この作者の手によるホラーというかやや奇怪な物語を集めた短編集ということで、少し珍しく感じたので手に取ってみた。いや、確かにこの作者の文章はいつでもどこやら非現実もしくは非日常めいた雰囲気が漂っているので、そういった部分を前面に意図的に取り出せば確かにこのような短編集にはなる。
 ではあるのだが、もともとそのような性質を持った文章(どんな人でもその文章には性癖というか傾向のようなものがあるのだ)で露骨に非日常的なものを書くとなんとも嵌り過ぎというか、なんだかぴったりしすぎという気がしなくもない。といって勿論、あまり俗すぎるものを書いてもそれはそれで相応しくないような気がするので、バランスが難しいような気はする。そういう意味では、ちょっとした非日常くらいのものがよさそうで、実はこの短編集の中で心に残っているのは意外にそのような作品だったりもする。「美少女コンテスト」という作品があって、文字通り美少女コンテストに出た少女をめぐるちょっとした異変を書いたものなのだけれど、変に記憶に残る。他にも幻想的な話、怪奇というか狂気めいた陰湿な話、はいろいろあるのだけれど、そういういかにも奇妙な設定を作りましたというような物語(例えば、自分が王女であるという錯覚をいだいたまま長い年月を暮らしている女性とその家族の話、などがこの短編集にはある)よりも、考えてみれば美少女コンテストというもの自体がそもそもどこか歪というか奇妙な儀式ではあって、そのことを丹念に見つめるだけで充分に奇妙な読後感が残る。
 美しいものと空々しいもの。そんな対比を考えてみる。美しいものは、空々しいものなのだろうか。あるいは、空々しいものは美しいのだろうか。それは確かに一面の真理ではある。少なくとも美しいものを求める心性は、空々しいものに向かいやすい一面を持っている。特に小説家としての小川洋子の心性というか、文章の力学はそうだ。そして、そう考えるとこの作者の文章は、もともと物語的(空想的、耽美的)ではあっても小説的(現実的、描写的)ではないとも言える。
 だが、そのような文章を小説の方に引き寄せる方法がある。世の中には、もともと空々しくてしかしとつてもなくリアルな存在というものがある。そのようなものを題材にすれば、まさに水を得た魚のように文章はリアルと虚構の間を遊びまわる。それは、きちんとリアルさを備えた小説として成立する。例えば、妊娠。例えば数学。例えば強制収容所。この作者の代表作と思えるものを列挙してみると、みなそのような空々しいリアルさを持ったものばかりだ。この本にある「美少女コンテスト」も、小さいがそのような成功例のひとつだ。このことを作者が意識しているのかどうかはよくわからないが、結果としてそれは文章の力学を小説の領域に引き戻すひとつの方法になっている。
 考えてみると、この傾向は鹿島田真希にも似ている。そして、小川洋子がアウシュビッツに出会ったように、鹿島田真希はナガサキに出会った。文章の質というかそれが抱えている力学と、そしてモチーフの組み合わせはそう考えると重要だ。少なくとも、ある種の耽美的な性向を持つ文章が成功するためには、ある特質を持ったモチーフである必要があるようだ。

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