2008/12/01
境真良『テレビ進化論』
テレビはどうなるのか? この問いは、多くの人が関心を持つテーマだ。いろんな環境変化がありながらも、やはりテレビは現在でも「娯楽の王様」あるいは「メディアの王様」の位置にあるだろうし、そのことは急激には変わりそうにもない気がする。とは言え、大きな変革の予兆もある。ひとつにはアナログからデジタルへの移行があるし、さらにはそれに重なるようにインターネットによる情報環境の変化もある。テレビはこれからも王様であり続けるのか、あるいはテレビはこれからも我々が知っているようなテレビであり続けるのか、それはやはり大きな問いなのだ。
この著者は「次のテレビ」と「テレビの次」という面白い言い方で、テレビの未来を説明している。ここで言う「次のテレビ」は、コンテンツが今と変わらないまま視聴態度が変わること、それ対して「テレビの次」はコンテンツ自体が新しくなってしまうことだ。そして、そのようなテレビの未来を語る視座として、この著者はテレビの過去の歴史を導入する。そのために、この本のかなりの部分を割いて説明しているメディアの興亡史みたいな話は、簡潔にまとまっていて読み物としても面白い。映像コンテンツということで言えば、映画産業とテレビ産業の間に興亡があってそれが一通りの形で収まった後、今度はテレビ産業とネット産業の間で興亡が起きつつある、というふうに言うこともできるだろう。
そして、確かに映画とテレビの関係には、いろんな視点が含まれている。ビジネスとしての収益性ということもあるし、あるいはコンテンツの質を支えるための体制や人材育成(特にテレビの深夜枠などに見られるような「実験市場」を持っていることはその産業の人材育成に大きく役立つ)の問題もある。それらと関連して、いかに自分たちの「権利」を確保するかということもある。日本の場合は、ビジネスの面でも人材の面でも映画産業が衰弱する一方でテレビが隆盛する方向に働いたわけだろうが、米国などでは必ずしもそうとばかりも言い切れなかった。制度のあり方がそのあたりを左右したわけだ。
「次のテレビ」を構想するキーワードとして、著者は「編集権」をいくばくか視聴者に委ねる「マイ・チャンネル」という言葉を挙げている。そこでは、検索やリコメンデーション機能の充実、そしてコンテンツに対するメタデータの付与などが重要になってくるが、それは要するに視聴者に取ってのテレビ世界へのインターフェイスが「PCライク」になるということだろう。ビジネスモデルの変動をもたらすかも知れないこのような変化は、収益構造などには大きな影響があるかも知れない。しかし、コンテンツの制作自体には大きな影響はないだろうし、実際、この段階では基本的なテレビ産業の姿は今とあまり変わらないだろう、と著者自身も予測している。
しかし、そこにさらに、「テレビの次」が来る、というのが著者の主張だが、どうも正直なところ、ここで提示されている「テレビの次」は「テレビの次」として提示されたものほどには像が明確でない。新しいコンテンツとは何なのか、勿論、それに対して充分な想像力を働かせることは、確かにかなり難題ではあるのだが。
ところで、面白い指摘があった。コンテンツ産業、コンテンツ業界などという形で最近では普通の用語になってきているが、確かに考えてみれば以前には一般的な用語ではなかった。以前なら、それは「メディア産業」などと呼ばれてきたのだ。それが、ネットの普及によって物理的な意味での「メディア」という括りがあまり意味をなくしてしまったため、そこではメディアが従でコンテンツが主という「コペルニクス的転換」が起きている、というのだ。問題は、そのような転換が、実際にどのレベルまで影響を及ぼすのか、ということだろう。「マイ・チャンネル」といったようなインターフェイスレベルの話に留まるのか、あるいは産業構造自体を変えるのか、あるいはさらにコンテンツの形式や中身までも変えてしまうのか、このような問いにきちんとした回答を与えることはいずれにせよ難しい。これから数年の間、ずっと問われ続けるのだろう。
『ono-deluxe』(小野裕三公式ブログ)
『ono-deluxe』(小野裕三公式ブログ) 俳句・俳句評論など、いろいろと書き物をしています。 ...
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- 2012/01/30更新
- 2007/03/12登録






