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2009/01/08

赤い靴の飛脚

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「今日がイチかバチか」の日だ、などという語呂合わせは、やはり耐えられない。

せめて「きょうは外国郵便が始まった日」くらいで納めたいところ。
その外国郵便、アメリカの船でやってくる郵便が
日本の中の横浜居留地に設けられたアメリカの郵便局で扱われ、
仮に日本の国民宛にやってきた郵便も、受け皿がないだけに
横浜の郵便局からUターンして戻ってしまうようなことがあったのだそうだ。

そこで日本宛ての郵便物は日本で引き受けますよ、と
アメリカと交渉をして、日本の郵便が外国と始めて窓口を開いた、
それが明治6年(1973)のこの日、1月8日だった、というのだ。

日本の郵便制度をイギリスの制度から、日本へ導入したのは、かの前島密。
その近代日本郵便の第1歩が明治4年(1971)の4月20日の東京―大阪間だった、というからその2年後の話。このために前島は、アメリカ人サミュエル・エム・ブライアンを雇い交渉を重ね、1873(明治6)年8月、日米の間の郵便条約を締結、1875(明治8)年1月からの実施されたという。

その場所。当時の横浜の郵便局だったが、
横浜の重心が今の横浜駅の方へ移った以前の中央局、
現在は日本大通の角、県庁と並んだ横浜港郵便局となっている。
外国郵便創業の局であることを示すプレートが局舎に嵌められている。

それにしても「郵便」というのは、今の我々から言えばごく当たり前の制度で、
どこにでも均一料金で手紙を配達して貰える、便利なものだが、
その有り難味などは感じていない不思議な制度だ。
明治になる前、江戸時代に飛脚という制度はあったにしても
幕藩の殿様であったり、有力商人の便利ではあっても
それが一般の人々にとっての「郵便」ではまだなかった。

日本では、幕府の認可で飛脚屋さんが商売として
あちらの藩、こちらの藩の個別のパスポートなしで
街道沿いに走り、手紙などを送り、受けることができたのだろうが、
統一国になる以前の近世ドイツあたりでは、諸封候の土地を
郵便の駅逓が天下御免に通行することは難しかったようだ。

明治維新に日本へ導入されたいろいろな制度の中で
郵便制度などは、あっという間に定着していった。
それにしても居留地まで来ていた外国の郵便の制度と
内国の郵便の制度を、巧いこと結びつけるということは
現在考えるより、ずっとずっと困難なことであったに違いない。
何せ、今でいう万国郵便連合という、世界を一つの制度の中に
包含することができるようになったのは、
この横浜での外国郵便創業の2年後、明治8年(1875年)のことだったのだから。

「赤い靴」のふるさとは、外国郵便のふるさとでもあった。



コメント(2)

2009/01/09

島崎丈太 郵政民営化とかで、郵便局の「有難味」の方は忘れられ勝ちのような気もしますが、郵便制度って本当に凄いものなのですよね。 私の好きなSF作家にデイビッド・ブリンさんという方が居て、「http://ja.wikipedia.org/w/index.php?...「[ポストマン]」という作品を書いておられます。 核戦争で世界文明が崩壊した後の北米で、徐々に再構築される行政組織の核となろうとする郵便制度、というような話だったような。(とても面白かったです)

chagale 最近、とんとSF小説を読んでいませんが、なかなか面白そうな作品のようですね。いずれにせよ、ユニバーサル・サービスなどという概念は、郵便制度の進展の中で、全国均一料金としてまず実現されたのでしょうし、郵便の歴史を振り返ってみると、いろいろなものが見えてくるように思いました。

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