2009/11/26
E.YAZAWA ROCK
周囲での評判も高かったので、矢沢永吉のドキュメント映画「E.YAZAWA ROCK」を見に行く。60歳記念にして100回目となる武道館公演を中心に、リハーサル、舞台裏、レコーディング風景などを見せていくパートでは、独特の言葉と身振りの力で、端役に至るまでスタッフを具体的に指揮し、演奏を作り上げていく矢沢のパワフルな姿に感嘆する。
一転、ハワイかどこかの別荘で撮られた密着インタビューパートでは、等身大の“60歳”の人間としての矢沢の心境が語られる。体の老い、スターでありつづけることのつらさ、そして丸くなっていく人間性という、意外な一面がまた、かいま見られる・・・
と、いうのが表面的な出来事なのだけれど、どうもこのインタビュー、矢沢永吉が“老いて丸くなったスター”を“演じて”いるように見える。普通の人間のように、老いて丸くなっているけれど、ステージでは超人のように輝くYAZAWA像というものを見せたいのだろうな、という作為が感じられるのだ。
それが“YAZAWA”の作為なのか、そもそも人に対する時点で常に自己演出過剰な被写体から、あえて“老いを演じている”箇所を切り取った演出家の意図なのか不明だが、結果届けられるヒーロー像が、僕にはとても日本風土に受け入れられやすい、ドメスティックな親しみを志向しているのかな、と思えた。
成り上がりとしての、泥臭さ。社会的に成功していても、庶民と自分はたいして違わないと公言する親しみやすさ。アメリカの文化を追い続けていても、それが決して洗練とはならず、日本の風景への親和感を常に持ち続けるという姿勢がまた、この映画自体の洗練されまいとする非PV的なライブ映像とあいまって、格好よすぎない60歳のおやじとしてスクリーンにたち現れる。
YAZAWAのコンサートに行く人の大多数は、親しみやすく、格好よく、でも頑張りやで感動屋のオヤジでもあるYAZAWAに、兄貴的な親近感を覚えてるのじゃないだろうか。そういう意味でこの映画は、YAZAWAの届けたいYAZAWA像をしっかり伝えているし、ドメスティックなスターの受け入れられ方を実に良く描写し得ているのだと思う。
劇中の矢沢語録にこんなのがあった「YAZAWAのコンサートに来てくれた人が、ああ、これで元気もらって、明日からまたがんばれるなって思ってくれれば。俺にできる事ってそれだけかもしれない(大意)」なんという謙虚ぶりっこw しかし一方でこの受け入れられ方こそが、YAZAWAの戦略なんだろうな、と思う。
ただ、好みの問題なのだが、僕は映画ではとてつもない狂人じみた人を見たいので(笑)、じつはちょっと物足りなかったりもする。いや実際の矢沢氏は、もっと動物として野獣な人なんじゃないかと、特に舞台演出をしているシーンでのスタッフへの慇懃な罵声の説得力などから垣間見えただけに、そういう面からもYAZAWAに迫ってほしかったけど、「俺はいいけど、YAZAWAはなんて言うかな」w
※そうか、被写体が死んでしまえば何も言えないから、徹底して表面の超人性だけを追った映像が作れ得るのだな。そう、マイケルさんの映画のことです。これは見比べてみないといけないな。







空腹ライフセーバー


