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2009/12/28

レイモンド・カーヴァー著/村上春樹訳『滝への新しい小径』

  《蜘蛛たちが出てきてあらゆる
   コーヒーカップの上に巣を張る。》

 小説家の書いた詩集というのは、詩人の書いた詩集とは違うのだろうか。詩人出身の小説家というのも昔からけっこういるし、あるいは詩人が書いた小説というものもある。ともあれ、似ているような違うような、この不思議な関係。そもそも、何をもってその人を「詩人」「小説家」と規定しているのだろう。小説と詩を両方書く人、という言葉がないから(あえて言葉を当てはめれば文人などの言葉になるのだろうが、逆にそれでは広すぎる)、とりあえずどちらかに規定しなくてはならないからどちらかで呼称しているのかも知れないが、その根拠は一体何なのだろう。
 例えば、小説家が詩を書く時、彼は最初から詩を書くと意識しているのだろうか。勿論そういう場合もあるだろうが、そうでない場合もあるのではないか。ある言葉の言葉をもくもくと吐き出すという行為が、結果としてどちらかにカテゴライズされる場合もあるだろう。というより、そもそも詩なのか小説なのかはっきりしないような文章だってある。分かち書きなどの形式、あるいは発表した媒体、などによってそれも暫定的に区分されているだけかも知れない。
 あるいは、と考える。実は小説家の頭には、詩にもなりうるような核になる断片があるだけなのかも知れない(そんなことを思わせる「詩」が、この本の中にもあるのだが)。その強烈なイメージが、詩にもなれば小説にもなる、と。だがしかし、そうだとすればその分水嶺はどこにあるのか。単に作者の気まぐれの中にあるだけなのだろうか。
 例えば俳人が、ある言葉を吐き出した後でそれを俳句にしようか川柳にしようか短歌にしようか、と考えるなどということはないだろう。だが、詩と小説の関係は遠いようでいて微妙に近い。その関係を考えることは、言葉の発達(つまり、無の場所からどうやって創作の結果としての一塊の言葉が生成されていくか)を考えることにもなる。非常に興味深いテーマなのだ。

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  • 2007/03/12登録

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