2008/04/19
店という自己表現の、すばらしさといきぐるしさ
近所の、プチアートビルに入っているおしゃれなお食事処が、正しくはカフェではないのですがカフェ的なムードのある内装で、昼間の静かな時間帯に訪れると、雰囲気も素敵でいいなぁ♪
と思っていたのですが、それほど回数を行ったことのないうちに、夜間営業のみに変わってしまいました。残念。
あまり行かなかった理由の一つに、そのお店に行くと、なぜだかとっても緊張感してしまうから、というのがありました。アートであまりにハイセンスなインテリアのせいかもしれない、と、一応の理由をひねりだしてはいたのですが、それも何か違うような、そこの部分で自分がひるんでいるのではないような気もして、それが何なのか、ずっと引っかかっていました。
お店で本を読み始めると、静かで集中しやすい環境なので、緊張感もむしろ心地よいものへと変化してくるのですが、入店15分くらいは神経がぴりぴりしてしまい、困っていたのです。
そこは喫茶ではなく、店主さんが「レストラン」「居酒屋」という位置づけでやっているので、副業をやめて、本業に力を入れることにしたようです。
夜間に訪れてみて思ったのは、お店の印象はお客たちが作りだすものでもあるのだな★ ということでした。内装はそのままでも、お酒が入って人がこみあっている様子は、まるで別のお店のよう。随分とヒートウェーヴな印象(謎)になっていました。
また、店主は音楽にも相当なこだわりをお持ちと見え、「どこ、どこ、ずどこ、どこ、ずこ」「づし、づし、づし、むぎゅぎゅ、きゅるきゅる」と、重低音のきいた風変わりな音を鳴らすので、しずけさを求めてきた当方は、ショックさえ受けてしまったのですが、お店は大盛況☆ オーナーさんとしては、ご自分のお店に、こちらの表情を望んでいたのかもしれません。
このレストランのような居酒屋のようなお店は、一部で評判になっているらしく、雑誌やネットで幾度かとりあげられていて、店主インタビューを読みました。
記事に書かれていたのは、店主が「自分自身が表現者である」という、確固たる理念を掲げていること、理想として思い描くスペースの再現に、力を入れていることなど。
店という世界を、完全にコントロールしきろうとする意志が、いきぐるしいまでに感じられました。自作の皿に盛った創作料理の一つ一つ、そして店の隅々まで、全部が彼の作り出した「作品」なのだという、強烈な自意識のみなぎり。少しではありましたが、お客までも自分の「作品」の一部だという論も、展開されていました。
記事にあらわれた「作品」という言葉は、ところどころ、「世界」に置き換えることが可能に思われました。それを読んで、思ったのです。お店で私を緊張させてきた正体とは、「支配欲」ではないかと。
彼は、自分の世界を完璧に支配しようとする気持ちが、強い。
はっきりしたヴィジョンを持って仕事することは、素晴らしい。一方で、語弊を恐れずに言うなら、飲食店なのにお客をくつろがせない、「攻撃的な」志向でもありました。
行き過ぎた空間の支配には、反発する気持ちが起きてしまいます。それで私は何か落ち着かなかったのかも。
このレストランは、他では味わえない見事な独自の流儀によって、運営されています。その表現は、時にすばらしく、時にいきぐるしいもの。
確かに素敵な空間だし、お料理はおいしい。あのいきぐるしささえなかったら、時間帯を選んでまた行ってみたいお店なのに。(とっても複雑。)
興味深い、示唆にとんでいる…と感じる物語、映画、評論、絵画、音楽、その他あらゆる表現作品は、創作者の制御がびしっときいているがゆえに、高い説得力を備えています。すぐれた自己表現は、他者に強震を走らせ、感銘を与えてくれます。
そういう「作品」が見たい、と求める気持ちが、私のなかにあるのも、また事実……。
ただ、自己の表現は、他者にとって「押しつけ」に感じられた瞬間から、けむたいものへと変わってしまいます。
このレストランは、境界線上で営業しているような気がします。
木谷梨子★
これまで名前の読み方を特に決めていなくて、「きたに」でも「こたに」でも、お好きなようにお呼びいただい...
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- 2012/02/04更新
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