2011/10/07
ジョブズとAppleとぼく、それからThink differentのこと
2011年10月6日朝、スティーブ・ジョブズ死去との報が流れた。享年56歳。
以下はアップル公式サイトでの公式発表「追悼 Steve Jobs」。
「Steve Jobs(1955-2011)
Appleは先見と創造性に満ちた天才を失いました。世界は一人の素晴らしい人物を失いました。スティーブを知り、共に仕事をすることができた幸運な私たちは、大切な友人と、常にインスピレーションを与えてくれる師を失いました。スティーブは彼にしか作れなかった会社を残しました。
スティーブの精神は永遠にAppleの基礎であり続けます。」
ツイッターのTLは彼の訃報に関する話題で一色になった。世代や職種を超えて彼の死を惜しむ声が続々と流れてきた。こんなにも多くの人から愛されていたのだと、改めて驚いた。そしてぼく自身、ジョブズにそれほど思い入れがあるわけではないつもりだったのだが、訃報を知ったときの言いようのない喪失感に、自分自身がとまどった。
ぼくはジョブズの人物像や、コンピュータの黎明期、業界の中でのAppleという会社の立ち位置などについて、とくに造詣が深いわけではない。だから、ジョブズの哲学や設計思想がいかなるもので、Appleの製品がいかに革新的であったか、などを論考するだけのスペックは持ち合わせていない。筋金入りのMac信者というほどでもない。だけど、Appleの製品にはいつもわくわくさせられた。新商品が発表されるときのわくわく、実際にマシンを使っているときのわくわく。きわめて個人的な記録としてこの機会に、いちMacファンとして、いちユーザとして、Macとすごした楽しい時間をふり返ってみようと思う。
はじめてMacintoshに触れたのは1999年。初代ボンダイブルーのiMacだ(いまでも実家に置いてある)。半透明でコロンとした造形の可愛いボディはそれまでのパソコンのイメージを一新した。ぼくにとってはパソコンを所有すること自体もはじめてだった。大学を中退してデザイン専門学校に入り、新しくぴかぴかのパソコンの梱包を開ける瞬間はどきどきした。ぼくはこのマシンでいろいろなデザインを作るんだ…コロンとした可愛いボディの先に、広い世界が開けているように思えた。
このマシンで、はじめてフォトショップやイラストレーターを使った。絵を描くことが好きだったので、その延長線上の感覚で画像加工をして遊んだり、デザインの真似事をしたり。それからインターネットの世界を知った。ピーヒョロロロという音が接続の合図で、23時以降がテレホーダイ(定額)というモデム接続の時代だった。チャットで見知らぬ人たちと会話した。自分のホームページを作り、絵や写真などの作品を公開した。似たような感性のホームページを持った人たちとの交流が生まれた。たった1台のマシンを通して、はじめて知る世界にどんどんのめり込んだ。それはぼくにとって最高の「おもちゃ」だった。
続いてやって来たのは、iBOOK。カラフルなシェルタイプから、真っ白でシンプルなボディに変貌したG3の初代版だ。このiBOOKは数年前にご臨終するまで長いことお世話になった。はじめて持つノートパソコンが嬉しくて、いろんなところに持ち歩いた。飲食店などで無意味に開いたりもした。不注意でアスファルトの地面に落としたこともあった。表面に傷はついたが中身は全くの無傷で、その強靭なボディに感心した。
ボンダイブルーのiMacに比べて、マシンスペックが上がったので更にいろいろなことが出来るようになった。それに合わせて自分自身もいろいろなことが出来るような気分になった。ホームページは毎日のように更新していた。毎日のように作品を作っていたから(学生でしたので)。現在のように誰もがブログを持てる時代じゃなくて、クリエイターを目指すような人たちが個人のホームページを開設していることが多かったので、そういった個人サイトを巡るのが楽しかった。自身が楽しんで作った作品のひとつで、第1回「キャノンデジタルクリエーターコンテスト」キャノン賞をいただいた。授賞式で東京に行って、WEB上で知り合った人たちと会ったりもした。妻と知り合ったのも個人のホームページがきっかけだ。この頃のグラフィックデザイン(という名のお絵描き)はぼくにとっていい思い出である。ひょんなことから、WEB上で知り合った全国各地のクリエイターの方々と「remics」という企画サイトを立ち上げた。お題となる写真を素材にして各々の個性を活かして画像加工するという企画で、1年ちょっとぐらいだったかな、4~5回ほど続いて、参加者もその都度増えていった。完全に趣味の世界だったが、これはほんとうに楽しかった。
それから、大好きだった音楽CDをパソコンに取り込んで、自分編集のベストCDをたくさん作った。妻とのドライブBGMはいつもだいたいこれらのCDだった。妻に聴いてもらうことを思い浮かべながらiBOOKの画面を前にちまちまと編集している時間が好きだった。ドライブ先ではノートパソコンでDVDを観たりもしたなあ。こうやってふり返ってみると、Macintoshは間違いなくぼくの生活の一部になっていた。もちろん職場でもずーっとMac使用なんだけども、やっぱりぼくにとってはライフの傍らにあるという感覚だった。(このiBOOKがお釈迦になって以来は、妻のiBOOKを借りている状態で、最新の機種を触っていられるのは職場のiMacというのがなんとも歯がゆいのですが…。)
で、次の変化はiPod。これは個人的には音楽ライフの変革には結びつかなかった。音楽に関しては変なこだわりがあるらしく、やっぱり今でもCD中心のスタイルがしっくりくる。ジャケットのアートワークも含めてひとつのアルバム作品という意識が強いからだと思う。べつにiPodが悪いわけじゃなく、ぼくに合わなかったということだ。だって、製品としての魅力はわかるし、出来ることなら持っていたいと思わせるから。そしてなにより、iPhoneへの架け橋としての存在だったと今では思っている。
そしてiPhoneを手にしたのは昨年の夏。この間に、ぼくは会社務めも長くなり個人サイトはいつのまにか放置になった。妻と結婚し、ふたりでの生活がはじまった。そして一昨年に子どもが生まれた。ライフスタイルが大きく変わったし、ぼく自身の人間性や価値観も変わった。かつてのようにMacintoshで自分の作品を作って公開したいという思いは無くなった。WEBの世界も大きく変わった。ちょっと寂しいような感もあるが、これは必然的な流れだと思う。
Appleは、かつてのように一部の(自称も含めた)クリエイターが使うコンピューターではなくなった。多くの人にとって普遍的な生活の一部になった。iPodやiTunes、iPhoneやiPadといったすぐれた端末によって。またクラウドという、所有を離れてゆく概念によって。
iPhoneは、ぼくの生活と思考回路を大きく変えた。iPhoneはネットワークにつながる端末にすぎない。自身がインターフェイスにすぎないという発想が、iPhoneをきわめて快適な端末たらしめているのだと思う。実際にiPhoneで何を使っているのかというとインターネットであり、GoogleMapであり、Youtubeであり、ツイッターであり。それまで、椅子に座ってスクリーンを前に向かう「パソコンの時間」しかインターネットに繋がる時間はなかった。iPhoneがもたらしたのは文字通りの「常時接続」だ。実際に24時間ずっと画面を見ているわけではないが、いつでもクラウドにつながっているという感覚、これは大きい。ふっと頭に浮かんだ思考の断片を忘れないうちにツイッターでつぶやくこと、そこから新たなつながりや思考が派生していくこと。
iPhoneが変えたのは、ぼくらのライフスタイルだけじゃない。思考回路の、文字通り回路のつなぎかたを変えてしまったのだ。こんなこと誰が予想できただろうか。ジョブズは世にiMacを送り出したときに、すでにここまで見越していたんだろうか。彼にはこの先どんな世界が見えていたんだろう。
よく考えたら、ぼくはいままでジョブズについてきちんと考えたことはなかった。Appleの製品はとても好きであるが、ただその楽しさを享受しているだけだった。まあそれはそれで正解だったのかもしれないが。皮肉なことだが訃報を機にジョブズの足跡を少しばかり知り、彼への興味が湧いてきた。彼は何を思ってMacintoshやiPadやiPhoneを作り、どのような世界を見ようとしていたんだろうか。
ぼくはかつてMacintoshを使って、なにかをクリエイトしていたつもりだった。でもそれは本当になにかを作っていたんだろうか。ひょっとするとMacintoshというマシンの想定内を泳いでいただけじゃないのか、Appleの商品を消費していただけなんじゃないのか。ふと、そんなことを思った。その答えはしばらく出そうにない。
Appleの製品が持つ魅力は、スペックだけでは計れない。Appleの製品を所有するということは、単に買い物して満足という消費文化ではない。Appleの製品はきわめてな便利で美しい道具であると同時に、それ自体が思想でもある。なぜここまでAppleの製品に魅かれるのか。それはぼくがぐだぐだ考えるまでもなく、1997年の時点でApple自身が言っていたじゃないか。ということに今日気づいた。
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クレイジーな人たちがいる
反逆者、厄介者と呼ばれる人たち
四角い穴に丸い杭を打ち込むように、物事をまるで違う目で見る人たち
彼らは規則を嫌う
彼らは現状を肯定しない
彼らの言葉に心を打たれる人がいる
反対する人も、賞賛する人も、けなす人もいる
しかし、
彼らを無視することは、誰にもできない
なぜなら、彼らは物事を変えたからだ
彼らは人間を前進させた
彼らはクレイジーと言われるが、私たちは天才だと思う
自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが、
本当に世界を変えているのだから
Think different.
映像はこちら
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当時はこのCMを見て、かっこええなあとかワクワクするなあくらいにしか思っていなかった。「Think different.」の意味をわかっていなかった、ということを今日知った。いまなら少しわかる。これはほんとうにすごいことだ。
ジョブズの設計思想は、フリーであることが根底にあったのではないか。あらゆる制約からフリーであること。既成概念や先入観からフリーであること。自分自身の限界からフリーであること。それはつまり、常識を疑うことであり、クレイジーであることであり反逆的であることであり厄介であることだ。
昨年の記事になるが、小田嶋隆さんがジョブズに関して書いたコラムを今日はじめて読み、共感した。少し長くなるが最後のページから引用する。
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ウッド・ストック由来のヒッピー・コミューン思想は、ジョブズ以降のワイヤヘッド連中にも脈々と引き継がれて行く。
ネット・スケープ・ナビゲーターを作った面々や、Google社のトップ、ウィキペディアの創始者も広い意味では同じ思想に連なる人々だ。
ウィキリークスの創設者ジュリアン・アサンジはどうなのだろう。
過激過ぎるきらいはあるが、根は同じだ。
ハッカー魂。異様な反骨精神。不敵な面構え。体制への呪詛。
ビッグビジネスとして成長する以前のコンピュータ文化は、ロックミュージックの初期段階がそうであったように、その根本のところに反体制的な思想を宿している劇薬だった。
それゆえ、ギターミュージックやコンピュータ技術に携わる者たちは、「体制」(クラシック音楽の堅固なオーケストレーションや、既存のビジネス社会のピラミッド式の秩序)への「反抗」(雑音)を企てる者と見なされた。
意識的に体制転覆を企図していなくても、コンピュータ世界のビジネスパースンのマナーはそれだけで、経済界にとって「脅威」に見えたからだ。
というのも、コンピュータ企業のメンバーは既存の会社員とはまったく別のマナーを押し通したからだ。しゃべり方や、ファッション、余暇時間の使い方や、政府の人間との交渉の仕方にいたるまでのすべての面で。まるでロックンローラーみたいに。
(中略)
ジョブズは奇妙な人だ。現在でも十分に奇矯な人物だが、若い頃はほとんど化け物だった。それほど道を大きく踏み外した変わり者でも、才能と勤勉さを持っていれば企業のトップに立つことができる。
イマジン・ゼアズ・ノー・ジョブズ。雇用なんてないと思ってごらん。起業するしかないじゃないか。
一度や二度追放されても、努力次第で復帰することができる。アメリカの強さはこういうところにあるのではなかろうか。真珠湾から始まった戦いでわれわれが敗れたのは、卑怯だったからではない。大義がなかったからでもない。われわれの軍隊が敗れたのは、たぶん有能な人間を頂点に押し上げるシステム(ないしは寛大さ)を欠いていたからだ。
うん。私見だけどね。多様な私見を認めないシステムは敗北するよ(笑)。
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そうか、ぼくがAppleの製品を通して受け取っていたのはロックンロールだったのだ。ものすごく納得した。だから先鋭的でかつロマンチックだったんだ。Appleを生んだのは、なんだかんだ言ってもアメリカの度量の広さだ。日本ではAppleやGoogleのような企業は成功しない。「Think different.」の風土が無いからだ。あったとしてもホリエモンのように潰されるからだ。
この1年のツイッターの普及とともに、あるいは震災後のごたごた通して、日本でも少なからぬ人たちの間で「Think different.」の感覚が浸透してきている。常識を疑うこと。これは間違いなくメディアリテラシーと民主主義の高まりだ。しかしそれは政府によって隠された陰謀をRTして知るといった陰謀史観とは異なる。メディアリテラシーとともに高めなければならないのは内省だ。疑うのは、自分自身が持っている常識。なによりもまず自分自身からフリーにならなければならない。以下はジョブズの訃報に関して内田樹さんのツイート。
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供養のつもりでスタンフォード講演を拝聴(二度目ですけど)。いいですね。stay hungry, stay foolish 。僕はその前の「あなた自身のheart とintuition に従いなさい」というのも好きです。
「いちばんたいせつなことは、あなたの心と直観に従う勇気をもつことです。あなたの心と直観はなぜか、あなたがほんとうになりたいのがなんであるかを知っているからです。」ほんとにそうですよ。
私たちは私たちが知っている以上のことを知っている。「イデア」も「先験的認識」も「暗黙知」も、意味するところは同じです。でも、それを生きる上の基礎づけにするためには「勇気」が要ります。「『知っている以上のことを知っている』と知っている」という命題は背理だからです。
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さすが、すごいこと言ってますね。
ジョブズのいなくなったAppleが今後どうなるのか、不安視する声もあります。いまはただ彼の死を悼むことしかできませんが、悲観に明け暮れるのはMacユーザらしくないのかもしれません。ツイッターで見かけたこのようなユーモアこそが、Appleに似つかわしいのかもしれないと思いました。
「ジョブズさん、三日後に復活して「急な死亡もバックアップを取っておけば安心。そう、iCloudならね。」ってPRするんですよね?」
「きっとジョブスはiCloudに永遠にいるんだな。」
これって、あながち冗談だとも言い切れないかもしれませんよ。ジョブズは今度は天からイノベートしてくれるのかもしれない。そう思わせるだけの魅力と実績がジョブズのAppleにはありました。
最後に、ジョブズの言葉を。
「自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。」
めっちゃ説得力ありますね。
こうして改めてふり返ってみると、iMacにiBOOKにiPodにiPhone…たくさんのわくわくとともにライフスタイルの刷新をくれたApple。惜しむらくは、ジョブズが在りし日のApple製品がリリースされるわくわくを息子と一緒に共有できなかったことが残念でなりませんが、ジョブズと同時代を生きたぼくはしあわせだったなあと思います。ありがとう。ご冥福をお祈りします。










