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2005/06/23

読谷村民2500人が語る地上戦 その一

先日、NHKの沖縄での太平洋戦争の特集を観た。
10万人といわれる沖縄の犠牲者のうち、3000人が「よみたん村」の人々だったと言う。

二つあるエピソードの内、まず最初の証言。

60年分の日焼けと皺を顔に刻んだ老婆が、80歳を超えなお元気にサトウキビを刈っている。

「あのとき読谷村でいったいなにがあったのか」
このままでは彼らととも「村史」も消えてしまう。編纂のために働きかける村の人たちが、あの時を生き残びた人たちに呼びかける。

でも、
「話しても体験した人でなければ判ってもらえない。」
「今でも昨日のように思い出すのがつらく話したくない。」

家族にも、自分に長男がいたことすら口外してこなかった老婆。が、自分の孫娘がひ孫を育てているのに接しているうち、「伝えておきたい」と重い口をひらいた。

心の奥に仕舞いこんできた言葉をついに紡ぎはじめた。

1945年4月1日、米軍はついに沖縄へ上陸。日本唯一の地上戦だ。
「よみたん村」が候補に上った訳は、無論日本軍飛行場の制圧。

「友軍」のはずの陸軍はとっくに撤収し、残った住民が避難した岩の下の壕「ガマ」は、わずか30分で米軍に発見される。

数人が外に飛び出し竹槍で応戦する。たちまち、追い込まれどうにもならなくなる。中の老人、女性、子供達は覚悟を決め布団に火を放ち、あるいは毒薬を注射し自決を計る。

大半は煙に巻かれての死亡。

当時22歳のその老婆は、娘を抱き「外で死んだ方がまし」という人たちに「本能的に」ついて出る。
が、ふと気づいてみると自分の帯に掴まっていたはずの長男がいない!
ガマの中ではぐれてしまったのだ。
戻る、叫ぶ、でも立ちこめる煙でもうなにも見えない。


今、老婆の孫娘は、その当時の彼女と同じ22歳だ。
まじまじと祖母の話に聞き入っている。

「生きててよかったね、ばあちゃん。」
「そう、生きててよかった。」
「ウチも生まれてないもんね。」

今日も老婆は米軍基地のアンテナそば炎天下のきび畑へ。
「60年もたって豊かになりましたな。食べ物、着るもの、住むところ。今でもその都度あの子にも味あわせてやりたいと思わない日はありませんよ。」


永年哀しさを押し込めてきた為なのか、彼女のその笑顔が印象的だった。

http://www.nhk.or.jp/special/libraly/...

コメント(3)

2005/06/23

雲衣。 冷厳な事実は別にして‘老婆’という言葉に少し抵抗を覚えました。お婆さんではいけないのでしょうか。たとえ‘お婆さん’でも80歳の義母が先日「セールスに来た人からオバアサンと呼ばれた」と不愉快そうに言っていたことを思い出します/笑。

Poughkeepsie たしかに、むつかしい。「おばぁ」とすべきを粛々と書こうと色気をだしたのが裏目か。私の母も四つ違い、老婆じゃ怒るわな(汗

2005/06/24

Poughkeepsie 25だったか35セントの米軍住宅での家事労働で、生き残った娘を育て上げた。今でも毎日のキビ畑仕事に出る。その真っ黒で深い皺の風貌の下に潜む心は伺い知れない。でも、淡々と笑顔にさえ見える表情で語りはじめた話、それが忘れられないのです。

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