2011/12/03
パリ、凱旋門の眺め...
Esgourdez rien qu`un instant ちょっとでよいから、聞いておくれな
La goualant` du pauvre "T" かわいそうな、”T”のうたを..
Que les femmes n` aimaient pas おんな達に愛されなかった、おとこのことを
Mais n`oubliez pas ! 忘れちゃいけないのよ
ー ある『唄』から
一年に、二度、パリへ行けるのは恵まれていることかもしれません。誰もが、ベッドのなかで微睡んでいるような早朝、わたしは空港から、迎えにきてくれた、友人の車に乗り、車は市内へ走ってゆきました。車中、わたし達の会話には、笑い声や、明るい言葉はなく、声は、とだえることが少なくなかった。幸い、カー・ラジオから流れてくる、ニュース番組のキャスターかしら?可愛らしい声が、車中を支配している、どんよりとした空気に、一瞬だけ、爽やかな風を流してくれることはあったけれど。運転している人間にとっても、助手席に座るわたしにしても、車が、わたし達を連れていこうとしている、家のあるじが抱える病について、語りたくも、耳にしたくもない・・・・というおもいが、車内に漂う、気まずい雰囲気を作っていたのかもしれません。
今年の夏、わたしは、ささやかな休暇を過ごす場所にパリを選びました。おおくの美に彩られた都市、宿に荷を解き、遊び回るためだけではなく、街は、再会の地でもありました。病に苦しんでいる友人が、わざわざ、わたしを訪ねてくれたことは、驚きであり、喜びでした。古い友人と邂逅し、かれの枯れることのない、知的好奇心に触れただけではなく、ねぎらいの言葉を浴び、錆びれそうになっていた人生に、新たな輝きが与えられた・・・・旅の終わり、わたしは、満たされた感情に包まれていましたっけ。
Dans la vie y a qu`une mprale: この世界に、たったひとつだけ、ほんとがある
Qu` on soit riche ou sans un sou 成金だろうが、貧しかろうが
Sans amour, on n`est rien du tout ! 恋しなくっちゃ、生きてる意味がない!
On n`est rien de tout ! (恋しないなんて)ひとはゼロなんですよ!
さきに、歌詞を触れましたが、この唄を教えてくれたのが、病に魅せられてしまった、友です。" La goualante du pauvre Jean"という題でしたねぇ・・・日々は流れ、数ヶ月まえに会ったときより、痩せてしまい、抗がん剤の副作用もあり、髪も抜けてしまって・・・・わたしを迎えに、空港へ車を走らせたのは、息子さんでした。・・・・・日本では、ピアノを習っていた、青白い子供は、パリで作曲を學んだそうです。飯が食えないから、ちかくの教会が営む学校で、"音楽"を教えている・・・・息子さんは、細長い顔と、華奢で、ながい指の持ち主でした。もともと、寡黙なひとであったけれど、さらに、口が重くなっているのかなぁ・・・そう、感じました。『介護』が、家族から、笑いを奪ってしまったのでしょうか?
病状について知らされてから、わたしは、見舞いに行くべきか、悩んでいました。家には、老いた父や母も居るし、日常、仕事、動物たちもいる・・・・一週間も、家を空ければ、あれこれに支障が生じるし・・・・状態が悪くなるまえに、ヨーロッパのあちこちに住む、ほかの友人たちは、かれの家を訪れているのは、電子メールからも伝わっていました。う〜ん、クリスマスまえだったら、どうだろうか?旅程を練りましたが、家の手伝いをしてくださる、ヘルパーさんの都合がつかないし・・・・考えた末、師走のはじめ、一週間ぐらいだったら、なんとか、日数を工面できるかもしれない・・・・と、あれを断り、これをやめて・・・・数日を確保しました。
パリ、三泊五日というのは、健康な若者には堪えうる旅かもしれません。わたしには、イスは堅く、苦痛を伴う体験ではあったけれど・・・・機内では二泊し、パリ市内は三泊するだけ・・・・旅では、ちょっとした時間でも眠りたい質のわたしには、拷問にすら感じられました。ただ、長時間のフライトには、よいこともありました。行きの便で、途中まで読んでいた、映像作家、モンサンジョンが編集した、リヒテルの音楽ノートを読み終えただけではなく、リヒテルが褒めている録音のリストを記せたし、帰りは、別の作家の世界を探訪したし・・・・おなじ本の、いくつかの章を精読したり、活字と酒に彩られていましたしねぇ・・・・
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空港から、そのままま、宿にチェック・インできなかったこともあり、一日目は、友人の家へ行き、病院へ行くのに付き添いました。治療中、わたしは、二日間も使える、美術館パスを買いに行ったり、メトロに乗ったりして、街を探索しました。年上の友人は、わたしが美術館のパスを買ったというと、きみは、無駄遣いのクセがやまないねぇ・・・・と、揶揄していましたが、翌日は、ルーブルへ行きもしなかったのだから、かれは、正しかったのです!買っても意味はなかったのですねぇ・・・二日目は、息子さん達のかわりに、わたしがタクシーで送迎の役を担いました。放射線治療後は、オデオンから歩いて、62, rue de Seineにある、スペインから持ってくる、"本物”のハムや農家がつくるフォアグラが有名な、DaRosaへ行きました。
病人の送り迎え、夜のおしゃべりを別にすれば、パリでの日々、街を、よく歩きました。機内で、なんども、リヒテルの本を眼にしたのも手伝って、失意の日々、リヒテルが歩いたという、クレベールの大通りから、マドレーヌまで、わたしも足を運んだし、モスクワを離れ、流浪の民になってしまったピアニストが暮らしたという、44 rue Hamelinを眺めたり・・・・ちかくに、あのプルーストが、晩年を過ごした建物があったそうだけれど、寄りませんでした。歩いたあとは、通りにあるキャフェに入り、曇り空をみつめながら、酒を飲んだり、ボンヤリとして・・・・
三日目、昼めしは、かれの一家と食事に行きました。かえり道、わたしは、ふたたび、Da Rosaへ行ったり、チーズの店へ寄り道したり・・・酒を飲んだあとは、シャンゼリゼのほうへ・・・・滞在中、わたしの抱いていた、友人の印象は揺らぐことはありませんでした。けれど、齢を重ね、病に苦しめられ、かれも、ワガママになったなぁ・・・と感じることがありました。老いて、肉体が不自由になってしまった、みずからへの憤りもあるのでしょうが・・・・かって、モノーの書いた唄や、ブリュアンについて触れた論文を読ませてくれたり、メショニックの聖書研究の根幹には、「うた」とリズムがあるのだと悟らせてくれた、乾くことのない、知の泉のような頭脳をもったひとも、自然の摂理のまえでは、抵抗することのできぬ、赤子のようだ・・・・キリストの生誕を祝う、アドヴェントを迎え、いのちについて考えさせられています。産声をあげ、新しい世界で生きること・・・・齢を重ね、・・・・人生という舞台から、カッコよく、姿を消すことの難しさ・・・・今度の旅は、わたしに、いくつかの問いを運んできたのでしょうか?凱旋門のまわりを歩いていて、通りに吹いている北風が、冷たく、肌には感じられました。
コメント(2)
2011/12/04
ramona たまるさん、おかえりなさい。ご友人の病状、苛立ち切ない思いになります。「自らへの憤り」を人に見せてしまったあとの気持ちを考えると胸が痛みます。たまるさんとの素敵な思い出が、ご友人の心の波を穏やかにしてくれることを願っています。
たまる ramonaさん、おはようございます。怒っていました。わたしも、はじめは、なにを怒っているのかわからず、困っていましたが・・・だんだん、この感情の爆発(ちいさな)は、家族や、たまにしか来ない人間へ向けられたものではない・・・自分への感情なのだと知りました。ほんとうに、ステキなひとでした。おとこがみても、粋なひとでしたが・・・人間、幕をカッコよく閉じるのは、至難の業ですね。これが、わたしが、生きているかれとの別れと思いたくは、ありませんが・・・













