2012/01/20
控除から手当へ(子ども手当再考)
子ども手当については過去に何度か書きました。
子ども手当は誰のため
「子ども手当」にかかわる3党合意について
子ども手当廃止について(1) 子ども手当とは何なのか
子ども手当廃止について(2) 財源論という罠
ぐだぐだと長い文章ばかりで今読み返すとなんだコイツはという感じですが要約すると子ども手当っていうのは子どもに等しく支給されるものであって、それって利権の分配に勤しんできた今までの日本の政治構造からすると結構ドラスティックな変化なんじゃないかということでした。すなわち「子どもを社会で育てる」という理念を体現する象徴的な政策であると思い、支持していました。
いまも基本的な考えは変わっていませんが、ちょっと思うことがあったのでメモっておきます。
1. 扶養控除の廃止をはじめて実感
先日、確定申告の書類を書きまして、子ども手当の開始に伴う「扶養控除の廃止」をはじめて実感しました。というかその仕組みをはじめてちゃんと知りました。無くなった控除額が大きかったのでええ~と思いつつ(参考:扶養控除Wiki)。
よく試算してみると「児童手当→子ども手当の増額分」と「扶養控除廃止による増税分」は、ほとんどトントンであるようです。3歳未満の場合、児童手当から子ども手当になったことで増えた金額は5,000円(3党合意による改変前までは3,000円)。×12ヶ月分で6万円。一方で、16歳未満の扶養控除廃止により所得税は38万円、住民税は33万円の控除が無くなります。控除廃止による増税額は所得によって変わるので一概に言えませんが、わが家の場合は微増といったところのようです。高所得世帯では負担増になるとのこと。(計算は苦手で、まだ完全に把握したわけではありません。間違っていたらすみません。)
というわけで、子ども手当の導入によって子育て世帯の金額的なメリットが増えたというわけではないことを、(頭だけでなく)身を以て実感したわけです。さて、じゃあ子ども手当っていったい何なのか。
ホリエモンの言うように(これやこれ)、親の所得に関係なく一律支給とすることで役人の仕事を減らして費用を浮かすというのも子ども手当のメリットのひとつだと思います。『上杉隆の40字で答えなさい』によると、官僚の仕事とは「無意味な仕事を勝手につくり、次にそれを守るために一丸となって、予算の獲得に努めること」だそうです。警察の天下り先として悪名高い交通安全協会をはじめ、地デジ騒動もそうだし(参考:地デジとはつまり景気対策。でも強制はよくないよね。)、ETCとかエコポイントとかもそうだったのであろうということは振り返ってみると頷けることです。
だからして「単に金持ちに子ども手当を出すのがムカツクという、レベルの低い妬みのために手間のかかる手段を使わざるを得ない状況っていうのは公務員の思うツボ」というホリエモンの指摘には同意しますし、そのために子ども手当への悪い「イメージ」が先行して流布されているような気もします。子ども手当でツイッター検索すると、とにかく子ども手当憎しみたいなコメントがけっこう多くてげんなりとしちゃう。それも若い人に多かったりするのはオイオイと思いますが。
単純に金額を比較すればたしかに子ども手当による受給のメリットはあまりない。だからこんなのはまやかしだとかバラマキだという批判も出るのもやむを得ないでしょう。ぼくも正直言えば、ちっ、なんだそれと思います。でも、それでも「控除から手当へ」という点においてぼくは子ども手当を支持したい。
2007年に民主党税制調査会がまとめた「民主党税制改革大綱」には、「人的控除を精査した上で、必要なものについては、相対的に高所得者に有利な所得控除から手当へと転換する」と記載されているそうです(参考:【子ども手当】税制の「控除→手当」の大原則)。ちなみにこのブログを書かれた方は、「税制の透明化」という民主党税制の基本スタンスが「控除から手当への流れ」なのだと指摘しています。これはなるほどと思いますし、さっきのホリエモンの話にもまた繋がってきます。
2. 控除から手当へ
「控除から手当へ」これが大きなテーマなんですね。
ところがそんなことは全然アナウンスされない。子ども手当をめぐる報道は、単に損か得か、あるいは言った言わないの政局レベルでの話ばかり。日本のマスコミは目先のことしか報じないのでそれは仕方ないにしても、当の民主党自身でさえもきちんと説明しているとは言えない(というか本当に理解してる議員なんてどれくらいいるのか疑問)。それで損得勘定以外の意味を見いだせと言われても難しいでしょう。
だから「子ども手当が貰えると喜んでいる家庭も実は控除廃止で増税されるんですよ」的なことを聞くと、その事実だけに目を奪われて(知ったつもりになって)、なんだよインチキじゃねえかって話になる。でも、ほんとうはその事実から考えるということが「はじまる」はずなんです。ぼくは増税という事実を踏まえた上でこう思います。
「控除から手当へ」の流れによって、税制が透明化されて、官僚による無駄な仕事の創出が少なくなることは歓迎です。それによって政治はもっと身近なものになると予想します。政治が身近になるということは、自分のことを自分で考えるようになるということです。お上(密室)にお任せ、から責任と自由を自分らで引き受ける政治へ…実現するには数十年単位での期間がかかるだろうし、存命中に叶うことはないかもしれません。でもその「流れ」を次世代に引き継ぐことはできる。
さらにもっと大事だと思うのは、子ども手当に限って言えば「控除」と「手当」では家族手当というものに対する考え方がまるきり違うということ。「控除」とはすなわち親の所得によって決まるものであり、子を持つ「親」への措置です。児童手当もその延長上にあるものでした。つまり親の都合に大きく左右されます。それに対して「手当」は、親の所得に関わらず「子ども」へ等しく支給されるものというのが当初の子ども手当でした。すなわち、受給となる対象が違うわけです。
けっきょくは親の口座に振り込まれるんじゃねえかと言われれば、それはそうです。しかし、控除として減税措置されるのと、子どものためにと支給されるのでは「親の側の受け止め方」が違ってきます。子どものためという名目で振り込まれたものならば子どものために使ってあげたいと思うし、やむにやまれず生活費に消えたとしても手当を受けとったという事実は子どもへ向かう態度となって表れます。きれいごと?いえ、これって本能レベルでの話だと思います。ふつうそうですよね。ぼくは自分が親になることではじめてそういうふうに考えるようになりました。
そりゃ中には親のパチンコ代に消える家庭もあるでしょう。でもそれは各家庭の子育てのスタンスであって、そこまで強制できるものではないと思います。政治は道徳の場ではありませんし、ましてや信仰や思想の自由を強制などできない。子ども手当が親のパチンコ代に消えると批判するならば、年金の使い方だって規定されなきゃならないのでは。けっきょく政治に何を求めるのかということに立ち返って考える必要があると思います。
3. おまけ
と、あくまでも子ども手当を受給している中産階級という立場からの現時点での感想を書き留めておきました。べつにこれをもって反対派の人たちを論破したいとかいうわけではまったくありません。立場が違えば意見が異なるのは当然です。なんでわざわざめんどくさいことを書いているのかというと、原稿料が出るわけでもないし、あくまでも自分の中での考えを整理するためにこうして書いているだけです。
頭の中でぐだぐだと考えていることを書くという行為によってアウトプットすることで、頭の中が整理されていきます。以前に書いたものを読み返すと、いまも自身の考えの中核をなしていることから書いたことすら覚えていないこともあります。人の記憶なんていいかげんなものです。ぼくは今回あらためて子ども手当というものに対する考えを確認することができました。これは他ならぬ、ぼくだけのものです。
こうして書いておくことは、記憶に残っていなくても記録に残ります。たとえば今後また子ども手当に関する報道がなされ、単一のフレーズや煽り文句が連呼され始めたときに、その狂騒から一歩引いて考える、その素になるはずです。もちろんその頃にはまた考えが変わっているかもしれません。コイツはこんなこと考えてやがったのか、と鼻で笑う結果になるかもしれない。だからこそ、いま自分が置かれている現場で感じることを書き留めておくことはいましかできないし、大事なんじゃないかと思っています。











