2012/02/04
インフルエンザ
ついにやってきました。
前回の日記を書いてから、息子の調子は咳と微熱が続くといったものでしたが、2月2日(木)の夜に、今度は娘がいきなり38度台の熱を出しました。顔もほてったように赤く、二人とも咳をしています。
2月3日(金)、二人とも学校を休ませ、奥さんにも休みを取って貰って病院へ。インフルの検査は、綿棒で鼻水を取るのですが、嫌なことをされると思ったのか、ふたりとも抵抗します。「指で鼻を取るよりも痛くない」と言い聞かせましたが、果たして結果は二人とも陽性。薬を処方して貰って、後は自宅で大人しく静養しているしかありません。
下の子どもたちと一緒に寝ているためか、わたしも奥さんも、どうも調子がすぐれません。前日に、この寒波と雪で路面が凍結しているためにトレーニングできなかったので、それを取り返そうと思い、2時間近くランニングしたので、その筋肉痛と思っていましたが、足というよりも腕や肩の関節がひどく痛み、また痰が絡んできます。わたしもどうやらかるくかかってしまったようですが、発熱はしていません。ぎりぎりのところでふんばっているのかもしれません。
奥さんも午後に計ったら38度台。しかし、息子は熱も下がり、本調子ではないものの、それほどひどい状態ではなさそうです。この日はとにかく眠れるだけ眠ろうということで、二階の和室に布団を敷きっぱなしにしてごろごろして過ごしました。
食欲もあまりありませんが、それでも食べなきゃならない。前日がおでんでしたので、ここに新しい種をいれようと思いましたが、買い物に行けない。冷蔵庫にストックした食材を見ると、白菜やキャベツなどはありましたが、練り物がない。ロールキャベツもいいけど、挽き肉がないしなあ、白菜をつかえないかなあ、とおもってネットを見てみると、「白菜ロール」というものを発見。これならちょうどかんぴょうもあるし、冷蔵庫のありものでできるので、これに決めました。
白菜の葉をしんなりする程度に茹で、中心にウインナを、あとベーコンをはさんでくるくると巻き、かんぴょうで縛るだけ。子どもには一本で十分なボリュームがあります。おでんじゃなくても、トマトソースやクリームで煮てもよさそうですね。
体調が優れないので、あまり難しい本は読みたくないものですね。図書館の返却期限が近づいているので、読まねばならないものもあるのですが、こういう体調なのであっさりあきらめ、手にしたのが『暮らしに思いを馳せる経済学』(山家(やんべ)悠紀夫、新日本出版社)と『NHK俳句 子どもを詠う』(西村和子、NHK出版)です。
経済学というと、どうも僕には専門家が勝手なことをいっていて、分からなくちゃ損するのはお前だ! というような所を感じていました。しかしTPPや今の消費税の議論などを見ていると、どのような日本を目指すのかのビジョンをきちんと政治で議論していなくて、お金の話でゆがめられている気がします。
この本の指摘でなるほどと思ったのは、日本の財政赤字を家計になぞらえて国が危機感を強調していることの過ちについてです。国が本来果たすべき役割を、財政赤字を盾に放棄し、国民に過度な税負担を要求するといった政策の根拠に家計モデルで国家予算をみることがあるというのです。家計や企業は、収入を自分で決められないけれど、国は法の手続きに従って増収をはかることができる。うーん、たしかにそうですよね。今の新聞報道は「増税をしなくては日本が破綻してしまう」と危機感をあおりますけれど、その裏でちゃっかりいい目を見ようとしている輩が潜んでいることを、この本を読んで感じます。素人の目こそ、今の専門家にだまされないための最後の砦だから。
そして、『子どもを詠う』。わたしは俳句をやってきたわけではなく、むしろ短歌の方になじみがあります。けれども、子どもという題をおいて俳句をみると、こんなに豊穣な子育ての時間が記されてきたのだ、と思えてなりません。ここには難しい作品解題はありません。子どもを育てるという、多くの人にとって一見ありふれたできごとであり、じつは底なしに深い体験を、どうゆたかなものにしていくのか、といったヒントが隠されている気がします。
子どもが小さい時、その一挙手一投足に感動し、子どもが成長して行くに従い、親を頼るばかりだったこどもが少しづつ自立していくときに感じる親の安堵感と一抹の寂しさ。そして病気や夭逝という不運の時。これを俳句が鮮やかに切り取ってくれるのかもしれません。
著者は、まえがきにかえて「いそがしいあなたに」という題で、子育てに忙しい親、とくに母親に向けて、こんな一文を記しています。
「子育て最中は自分の趣味の時間なんてとても無理、とあきらめていたあなたも、この、世界で一番短い詩なら、側に置いておいてもいいと思ってくれるでしょう」そしてこの一文はこんな言葉での終わっています。
「移りゆく季節と人生の出会いを大切に、あなたの足もとをあらためて見つめなおしてみませんか」
俳句というものを、自分を客観的につかむためのきっかけとしてみているのですね。この自己対象化の働きは、文学作品の大切な要素の一つだと思います。作品の巧拙はともかく、この自分を理解するということに意識の向いていないものは、単なる独りよがりな、文学のようなものとしかいいようがありません。









wahei


