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「イカとクジラ」(ノア・バームバック監督)

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 父は父を慕う長男に父としていかももっともらしい能書きをたれるのだけどしかしその能書きはただ不遇な父の不遇な現在への言い訳にすぎなくてだからその言葉を「父の言葉」として(つまり信じるべき真理が現れている言葉として)受け取ろうとすると息子はそのときその本人の在り方としてどうしても無理が生じてしまうことになるのだ。なぜならそれは息子が信じる必然性などまったくないただ父の現在から生じただけの(しかも父の悪しき現在への言い訳として生じただけの)父の恣意的な言葉にすぎないのだから。しかし子供は親を慕おうとするものであるしだから少し無理してでも親のことを良きなにかとしてとらえようとするのだ。しかしこの父はその子の純粋な心を逆手にとるように勝手な能書きを自由気ままに息子に語り思春期で多感な息子を無駄に戸惑わせるばかりなのだ。父に悪意はないであろうし(しかしもちろん子に対してより良くあろうという親としての善意もないが)そしてもちろん親を慕おうという長男にも悪意などあろうはずもないのだがところがこの父と子の関わりは驚くほど行き違いが生じていてしかしその行き違いにまったく気づかぬままで(そしてお互いに悪意がないだけに)それぞれの問題をその行き違いの最中にただひたすらこじらせているばかりなのだ。それはそれは観ていて痛々しいほどに。

 母は売れっ子小説家としてもっか絶好調ではあるようなのだがしかし立派だとおもっていた夫はこの体たらくで結婚生活は完全に破綻しだから彼女は彼女で傷ついているようなのだ。彼女は母として子供たちにやさしい笑顔を見せはするしおそらくそれなりに健全な母らしい愛を子供たちに与えてもいるようなのだがしかしこの女の元来の悪い気質なのだろうその「女の冷たさ」を子供たちに対してもやけに露骨に浴びせかけているのである。やさしい笑顔で息子たちを引き寄せ母の元に在る者として無防備になったそのときにこそこの母は息子たちにもっともいやがるであろう言葉をわざわざ押しつけてしまうのである。つまり「冷たい女」が男に行使する二重拘束的な相手の傷つけ方が(やさしい笑顔で武装解除させつつ隙をついてもっともいやがる行為をしてのけるという女による男への二重拘束的傷つけ方が)どうやらこの女の元来の自然であるようなのだ。そしてその女としての冷たさは結婚生活の破綻もあってさらに露骨な冷たさとなりつつありしかもここでは「愛しい」息子に対してすらそのような冷たさが遠慮なく行使されているようなのである。十代になったばかりの母を慕っているいかにも繊細な次男にわざわざこの女は自らの「華麗な(複数の)」不倫体験を(赤裸々な性体験を)話して聞かせているようなのである。十代になったばかりの傷つきやすい息子にもっとも聞かせるべきではない話をこの女はわざわざ聞かせて無駄に我が子を傷つけているのである。しかしいったいなんのために。つまり結局この母も上記の父と同様に子に依存しているのだ、要するにこの女もただ母としての満足感が得たいだけなのだ、だからそのためには息子を「良き者」になるようにきくっちり「教育」するよりもむしろ上手に自らの手の内でひねり潰して都合のいい慰み物してしまったほうがより良いのである。そのほうが母としての満足感はより容易により多くえられるということなのである。「冷たい女」による男の狡猾な支配の仕方がここでは可愛い我が子に用いられているのである。良き母を演じることもできるだけあってより悪質な子のひねり潰し方なのだ。

 つまりこの父と母はどちらも子の立ち場を与えず親にとって都合が良いというだけの関係を子に一方的に強いようとしているのである。そしてどちらにおいても多かれ少なかれ子に依存しているのである。子を保護しているという親らしい態度によってしかし実は子に依存しているのである。子は親を慕おうとするものである。そしてその子の純粋な気持ちをそれなりに汲み取りつつもしかし自分にとって都合のいい慰み物になってくれるように父にせよ母にせよ子を誘導しているだけなのである。言い訳ばかりのパロデイー父と冷たい母と。結局どちらとの関係においても子は親を慕えば慕うほどに自己喪失していくのみなのである。子はこうやって病へと追い込まれていくのである。親への愛情という良き感情をその推進力としつつ(良き感情/根源的な感情を推進力にしているが故に)とても深い病へとこうやって子は紛れ込んで行ってしまうのである。「理由なき(目的なき)親殺し」に端からは見えるも奇妙な事件も実は本人にしか分からない生々しい「原因」は在るものなのだということをとてもよく実感させる核家族の見えない部分を観ようというなかなかの力作。(しかし楽しいかどうかは保証しません。)


「イカとクジラ」(ノア・バームバック監督)

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投稿者:
room9
  • 2007/02/03更新
  • 2007/02/03登録
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コメント (2)

2007/02/04

mtm わたしは両親の身勝手さに明日はわが身かもとぞっとしつつ、嫌気だけじゃなくて可愛らしいとも感じました。まあ、親なんてそんなもんかと。どうにも気になったのがW・ボールドウィンの演じたテニスコーチ。子供のころ親に不信感を持つときって、ああいう微妙な存在の大人に惹かれましたっけね・・・

2007/02/11

room9 「父」は頭はいいかもしれないがしかし「頭がいいだけにすぎない」自分自身を受けいれられずにいます(彼に才気はない)。つまり彼は心が弱い。しかしテニスコーチは(プレイヤーとしても)さして優秀ではないかもしれないけれどしかし「小さな自分」を受けいれる最低限の「心の強さ」を彼は兼ね備えてはいる。はじめは「ヘン」な人に見えていた「テニスコーチ」も後半ちらっとみせるその表情/立ち居振る舞いによってもっともマシなひとであることがはっきりします(映画の中でのその人物像の位置づけはきわめて巧みです)。そしてより「マシ」なテニスコーチのその「心の強さ」に薄々弟は気づいてるという点が救いといえば救いです。しかし子が病に追い詰められていくそのプロセスが生々しく描かれているだけにそしておそらくそうとうやっかいな彼の病となるであろうだけに(子に落ち度は無く落ち度が在るのは親のほうです)わたしはあまり親を好意的には見ることはできませんでした。たしかにふたりとも悪意はありませんけどね。

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