神田明神
俗に神田明神と呼ばれる神田神社のご祭神
家内安全と縁結びの大己貴命
(おおなむちのみこと) ≪大黒様≫
商売繁盛の少彦名命(すくなひこなのみこと)
≪恵比寿様≫
厄除けの神、平将門命 ≪将門様≫
創建は天平2年(730年)、元は現在の大手町界隈にありましたが
元和2年(1616年)に現在の地に移されました
隔年の5月に行われる神田祭は日本三大祭の一つとして有名
神田明神(かんだみょうじん)は東京都千代田区外神田二丁目にある神社。
江戸時代には神田明神と呼ばれたが、明治維新以降は
神田神社が正式名称となっている。
明治に入り、准勅祭社に制定され、現在は東京十社のひとつ。
大己貴命・少彦名命・平将門神を祀る。
社伝によれば、天平2年(730年)、
武蔵国豊島郡芝崎村に入植した
出雲系の氏族が、大己貴命を祖神として祀ったのに始まる。
神田はもと伊勢神宮の御田(おみた=神田)があった土地で、
神田の鎮めのために創建され、神田ノ宮と称した。
承平5年(935年)に敗死した平将門の首が京から持ち去られて
当社の近くに葬られ、
将門の首塚は東国の平氏武将の崇敬を受けた。
嘉元年間(1303年 - 1306年)に疫病が流行し、
これが将門の祟りであるとして供養が行われ、
延慶2年(1309年)に当社の相殿神とされた。
平将門神に祈願すると勝負に勝つといわれる。
江戸時代、江戸城増築に伴い現在地に遷座した。
江戸城の鬼門除けとして尊崇され、
神田祭の山車(当時は山車が中心だったが、
明治に入ると電線の普及等により山車の数は大幅に減少した)は
将軍上覧のために江戸城中に入ったので、一名「天下祭」とも言われた。
現在、「神田囃子」は無形文化財に指定されている。
江戸初期に豪華な桃山風社殿が造営されたが、
1923年の関東大震災で焼失した。
その後再建され、1945年の東京大空襲では本殿・
拝殿などは焼失を免れた。
明治元年、准勅祭社に指定されたが、明治7年、
明治天皇が行幸するにあたって、
天皇が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られているのは
あるまじきこととされて、平将門は祭神から外され、
代わりに少彦名命が大洗磯前神社から勧請された。
平将門神霊は境内摂社に遷されたが、
戦後昭和59年(1984年)になって本社祭神に復帰した。
現在の祭神は3柱で序列は、一ノ宮に大己貴命、二ノ宮に少彦名命、
三ノ宮に平将門神となっている。
また、野村胡堂の代表作「銭形平次捕物控」の主人公・銭形平次が
当神田明神下の長屋に住居を構えていたという設定から、
敷地内に銭形平次の碑がある。(銭形平次自体は架空の人物)
- 2007/02/16更新
- 2007/02/16登録
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