やまだ たかひろ
山田 隆裕
一言では語りつくせない魅力を持っていたサッカー選手。最後の所属チームはベガルタ仙台,背番号32,ポジションは攻撃的MF。6つのポイントに整理してその魅力を語ってみます(長くてすいません)。
●元祖天才ドリブラー
名門清商(清水市立商業高)出身。高校ではあの名波と同期。だが,当時の評価は間違いなく山田の方が上だった。ウリはキレキレのドリブル。山田がボールを持つだけでスタジアムが沸いた。高卒で日産(当時)に入団した翌年から1軍の試合に出場。マリノス時代には絶頂期の城と2トップを組んだこともあった。
●サッカーエリート
90年ユース代表、91年バルセロナ・オリンピック代表、92年にはあのオフト日本代表にチーム最年少(20歳)で選出されている(試合出場はなし)。予選2次リーグ直前のスペイン合宿で外されたためドーハの悲劇には同席していない(惜しい)。93年のファルカン日本代表にも選出。国際Aマッチ出場はファルカン時代のたった1試合。得点は0。本人は代表歴にまったく執着がなかったらしい。「年俸に反映されない代表に合流してコンディションを崩すわけにはいかない。生活がかかっているんですから」
●ボールを蹴る渡り鳥
90年~97年は日産自動車(現横浜Fマリノス)、98年京都パープルサンガ、99年ヴェルディ川崎、2000年にいったん引退宣言するも清水監督の説得で練習生待遇でベガルタ仙台へ。仙台を昇格に導いたシーズンオフにもいったん引退を表明するが,サポーターの熱心な説得で翻意。
●3流ホストの風情
見てのとおり「当店のナンバー3」的なホスト顔。私服は黒ずくめに白のシャツ(胸元は開ける)というベタぶり。当然、期待にたがわず浮名は数々で、仙台と東京に妻がいるとのウワサ。Jリーグバブルの頃,当時ウインクのサッチンと付き合っていたのは有名。
●衝突と辞退
一匹狼的な性格で上層部や同僚との衝突多数。バルセロナ・オリンピック代表は「雑用ばかりやらされて耐えられない」との理由で辞退。オフト日本代表でも「使われないなら行かない」と言い放って合宿帯同をいったん拒否(周囲の説得で翻意)。ファルカン日本代表時代は負け試合後くどくど説教する闘将・柱谷哲二に「あんたがいちばんミスしただろ」と一喝。こういう性格なのでマリノス、サンガ、ヴェルディで首脳陣と衝突することが多く,出場機会を逃すことが多かった。
●正直、山田は素人にはオススメできない!
間違いなくベガルタ仙台の中心選手だったが、テレビで仙台を見始めたファンにはその魅力がわかりにくいはず。「散歩」と称される運動量の少なさ、守備はほとんどせず、パスミスも目立つ。一見、衰えきった元一流選手に見える。まぁ実際そうなんだけど、ほんとうに一番大事なところで決定的な仕事をする。昨年最終戦( http://www.kanshin.com/index.php3?... )のロスタイム、仙台を奇跡の逆転J1昇格に導くラストパスを放ったのは記憶に新しい。
##追記
2003年1stステージ限りで引退。起業して移動メロンパン屋FC「東北フーズショップ企業組合」の代表に就任,仙台地区を中心に一時爆発的な売上を誇る。2003年末には著作「異端児」も出ました。仙台ではベストセラーだったらしい。中学時代の実父の失踪とその後の貧乏生活を赤裸々に語る内容でなかなか読み応えあり。
「メロンちゃん」の成功で一時は元Jリーガーの華麗なる転身と数々のメディアで取り上げられ(記事1,記事2),ニートを見て腹を立てたりしていたようだが,ブームはあっという間に去った。
2007年10月22日には元FC契約者から訴えられるというニュースも出て,末期状態の模様。
おかげでこの忘れられたキーワードにもアクセスが殺到。あわてて情報を更新中(笑)
▼仙台在籍当時の愛されぶりは2chの名作スレをどーぞ
ベガルタ仙台 山田隆裕=神
ベガルタ仙台 山田隆裕=神 二拝目
ベガルタ仙台 山田隆裕=神 3
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