曹洞宗大本山永平寺
同じ禅宗でも臨済宗と曹洞宗ではまるで違う。臨済宗は室町以降大名(上級武士)や公家に近づいて領地を安堵されたが、曹洞宗開祖道元はひたすらストイックに修行に励んだだけだから、その弟子たちを含めて金など集まるはずもなかった。だが、今日の曹洞宗は末寺一万四千ヶ寺を数えて、宗派別では第一位である。第二位は西本願寺で一万一千数百ヶ寺。第三位は東本願寺で一万弱である。それほどまでに勢力を拡大させた要因は、道元以降の禅師たちがこぞって農民への浸透を強めて行ったからで、あくまで内向的に厳しい修行と禅問答に明け暮れていると思われていた修行僧たちが、現世利益にあずかる為なら神にも仏にも縋りたがる農民層になりふり構わず訴求した経緯は、「正法眼蔵」だけを唱えていては生きて行けなかった彼らの本音が聞こえて来るようで実に興味深い。おそらく農民たちは、雨を降らせてくれとか病気を治してくれとか子供を授けてくれとか、五穀豊穣・家内安全・夫婦円満・世界平和・核兵器廃絶・「他人の不幸は蜜の味」などをその時々に応じて願い出たのだろうが、今日の隆盛が坐禅だけで築かれたものではないと判れば、禅もまた古今を通じて即物的な経済活動に組した一員であったと言わざるを得ない。
いまさら京都・奈良・鎌倉を初めとする名刹古刹の例を挙げるまでもないが、今日の永平寺もまた観光俗化の波に呑み込まれた寺である。久しぶりに尋ねてみると、三十数年前に初めて訪れた頃とは参道の雰囲気からが違っていて、それはそのまま七堂伽藍内部の緊張感の違いに通じており、目には見えないが端然として孤高を保つ結跏趺坐の姿勢が、境内全体として薄れているように感じられた。次から次へと拝観を願い出る観光客は後を絶たず、それらの団体客を心太を押し出すようにして捌く若い僧たちの手際の良さは見ていて気持ちが良いほどで、何やら特別の訓練を受けたアテンダントのようにも思える。
雨が降りしきる夕刻。ボクは残雪を宿す山門の脇に設えられたベンチで呆然と独り佇んでいたが、かつて若い頃に丸一日を費やしてもの思いに耽っていた、その時の充実した孤独と感慨は得ることができなかった。
泥に塗れなければ人生は語れず、泥に塗れていては明日の道が見えなくなると言う絶対矛盾の自己同一。
永平寺を心の師とする理由は、存外此処奈辺に在るのかも知れぬ。
- 2007/03/25更新
- 2007/03/24登録
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コメント (2)
2007/03/26
島崎丈太 変わりゆく永平寺、というとファンシィダンスを思い出しますが、あれですら、既に20年程前の作品になるんですよね・・・
涙腺子 拝観券(500円)は自動販売機。靴を脱いで各自ビニール袋に入れ、ゲート脇のモギリ担当の若いお坊さんに渡すとパンフレットと交換。参拝経路のサイン(往路・復路の矢印看板)に案内され、境内の建物を回廊を巡る形で一周。永平寺の象徴でもある山門を外から眺める(靴を履いて外に出る)ことはできないようになっており、以前は散策できた唐門・舎利殿・鐘楼・円通門一帯も立入禁止でした。一巡して「総受処」に戻ると正面に広大な売店が在り、護符・朱印帳・御守を初めとして何でも売ってる(笑)。その横手には「瓦志納」の寄付金募集のコーナー、宿泊&簡易修行(坐禅)の申込みを受け付けるカウンターまでありまして、AnybodyWelcomeとのこと。さながらTDLの如き動線管理の見事さでございまして、「雪深くして冷厳なる佇まいの中に身を置き、黙々と修行に励む僧たちの姿を観て感銘を受ける」ことを期待して行くと、大変なことになるかも知れません(笑)。
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