サイレンススズカ
競走馬。鮮烈な記憶を数多く残した、規格外の駿馬である。
初めて見たのは、1997年3月の弥生賞。ゲート内で突然暴れだし、なんとゲート下をくぐってコースへ出てしまう。大外枠発走に。スタート後つまずき、大きな出遅れ。これだけなら、単なる未熟な若駒である。しかし、テレビ中継を見ていた私は驚いた。大きく出遅れていたはずのこの馬が、次にカメラに捉えられた時には、すでに馬群に取り付いていたのである。そしてぐんぐんと進出していく。驚異のスピード。ただものではない、と思った。レースは8着。
6月、日本ダービー。前団待機で9着。平凡。ここからしばらく、私の中でこの馬の記憶は薄れる。秋にマイルチャンピオンシップに出ていた気がするが、レースぶりはまったく思い出せない。15着。
1998年3月、中山記念。圧勝していた前走のバレンタインステークスを、私は見ていない。それくらい、この馬を忘れていたのだろう。前半1000mを58秒フラットで駆け抜け、そのまま押し切る。私は、弥生賞の時の、あのスピードを思い出していた。そしてここから、快進撃が始まる。
4月、小倉大賞典。前半1000m、57秒5。2着に3馬身、コースレコード。
5月、金鯱賞。前半1000m、58秒1。無理なく先頭に立ち、とにかく自分のペースで走り続ける。そのまま最後の直線へ。後方からは、何も来ない。「独り相撲」というのは、こういうことを言うのだろう。大差、コースレコード。私はテレビの前で、鳥肌を立てながら笑っていた。
7月、宝塚記念。武がエアグルーヴを選び、鞍上は南井。だがもちろん、この馬のスピードが変わるわけではない。向こう正面、いつものように後続を突き放す走りに、スタンドから歓声が上がる。2200mはこの馬の限界か、最後は詰め寄られたが、5連勝で初のG1タイトル。
10月、毎日王冠。相手はどちらもここまで無敗の4歳馬、エルコンドルパサーとグラスワンダー。「3強対決」を見に東京競馬場に集まった観衆、13万人。だが、絶頂期にあったこの馬にとって、相手など関係なかった。道中、いつものように他馬を突き放し、気持ちよく駆けていく。4コーナーで一旦捕まりかけた、ように見えたが、直線に入ってあっけなく突き放す。完勝。テレビの前で、私はとにかく興奮していた。いちおう付け加えておくが、この日、この馬は、前半1000mを57秒7で走った後、最後の600mを35秒1で駆け抜けている。自分のペースでひたすら飛ばし切る、この馬の真骨頂。どんな馬も敵うわけがなかった。
11月、天皇賞。ラストランになったこのレースについて、語る/りたいことはあまりない。多くの観客の関心は「どれだけ突っ放すか」に集中したはずだ。前半1000m、57秒4。だが4コーナー前、突如、競争中止。左手根骨粉砕骨折。当日に安楽死の処置がなされた。速すぎた馬の、早すぎた死。
これ以降、私を惹きつけた馬はいない。そして、競馬を観戦することも、ほとんどなくなった。
- 2007/04/15登録
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