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ミクロコスモス

Microcosmos

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 私はどんな小さな虫でも殺すことができない。蚊に血を吸われても決して叩いたりしないし、蟻の子一匹踏み潰すこともしない。命有るものはみな尊いという生命尊厳の価値観が、私から「殺す」という選択肢を差し引いている、と言えば聞こえは良い。しかし、本当のところはそういう道徳的な問題からではなく、「殺す」行為自体が怖い、というか生理的嫌悪感を持っているからだ。

 あるいは誰かはこう言うだろう。私はどんな小さな虫でも気持ち悪くて見ることもできない。虫の存在自体が怖い、というか生理的嫌悪感を持っている。ごもっとも、私もその例に漏れず虫に触れることができない。これが殺せない一番の理由かもしれない。

 この『ミクロコスモス』という映画に出会うまでは、虫や小動物の側に立って、彼らの気持ちを想像したことなどまるでなかった。

 1996年にカンヌ映画祭高等技術賞受賞、セザール賞5部門受賞を果たした本作は翌年秋に日本でも公開された。「虫の話だと思ったら、人間の物語だった。」とのコピーに目を引かれてビデオをレンタルしたのだが、なるほどその通り。人間が相争い愛し合う生き物であるのと全く同じように、彼らも相争い愛し合うことを、ミクロの映像とミクロの音響、つまり彼らの視覚と聴覚を疑似体験して納得させられた。画面に釘付けになった73分間は、同時に虫の世界が私たち人間の世界といかにかけ離れているかを思い知らされる体験でもあった。カメラが虫たちの生き様を丹念に追い続けてくれたおかげで、彼らと人間との共通点あるいは相違点のそれぞれが白日の下にさらされた。

 生き物の本能の一つに愛と性があるが、2匹のエスカルゴが互いに体を寄せ合い愛の遊戯を営む様は、ヒトのセックスと何一つ変わらない。ここでは"L'amour des escargots"(「カタツムリの歌」)というオペラ風の歌まで挿入され、森の宮殿の女王様と若き青年貴族との愛情物語、そんな映画のワンシーンを見ている錯覚に陥った。

 もう一つ衝撃を覚えたのは、降雨のシーンである。雨粒が蟻の体に直撃し、葉の裏に隠れている虫を、容赦なく葉っぱごと揺さぶる。私たち人間にとっては何でもない雨が、彼らにとっては嵐や台風に伍する一大事となる。彼らのオロオロする姿、不安げな姿は愛おしくてたまらない。そんな中、のんきなカエルは天候の変化に動ずることもなく雨雲が去るのをただ待っている。自然の摂理は何と美しくドラマチックなのだろう。

 この映画は、15年間にわたる「観察日記」数10冊、2年間の構想期間(カメラや照明機材のデザイン・制作)を要し、撮影期間2年と編集期間6ヶ月を費やして完成された。実に20年以上の歳月を経て誕生したのである。使用されたフィルムのリールは80キロメートルにも及び、実際に採用されたのはその40分の1である。虫たちの動きに合わせて音楽が絶妙に作曲されているほかは、何の脚色も施されていない(もちろんセリフもない)。にもかかわらず、この映画が私たちを魅了するのは、これだけの時間と労力、なににも増して製作者の情熱によるところが大きいからだろう。「ファーブル昆虫記」の映画版とでも形容しようか。これは紛れもなく歴史的記録物であり、芸術作品である。

 外に出ると今日も虫たちが元気に生きている。もう私は完全に虫を殺すことができなくなってしまった。
 

Microcosmos

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ハナミ画像 投稿者:
ハナミ
詳細情報
  • 原題: Microcosmos: Le peuple de l'herbe
  • 年(代): 1996
  • 人名: 監督/脚本/撮影:クロード・ニュリザニー/マリー・プレンヌー
  • 撮影:ユーグ・リフェル/ティエリー・マシャド
  • 出演:ナナホシテントウ/キアゲハ/シャクトリムシ/ミツバチ/カタツムリ/コガネグモほか
  • 2002/06/01更新
  • 2002/06/01登録
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