川上未映子 わたくし率 イン 歯ー、または世界
そんなわけで、「わたくし率 イン 歯ー、または世界」であることよ。
なにゆえに、延々とこないなことをしてはりますのん、と問われれば、
わたしにも、ようわからん。
けれどもたとえばこれは、大阪弁をいくら使っておろうが、
町田康などとは決定的に違うわけであるし
(というのは当然の了解事項とおもってたら、どうやらそうでもないらしい)、
しかし、いま、町田康との違いを云々する気もないのだけれども
(作家はそれぞれに方向性があって、それはそれで肯定も否定もされるものではない)、
しかしながら、あまりにも哲学的にわかりやすいからといって、
それをうっちゃっておくと、どうやら、その独異な言語感覚だのなんだのばかりが、
注目されるとするならば、それはそれでもったいなくおもわれる。
とはいえ、わたしは創作ってのはなにが書かれたかという内容よりも、
いかにかかれたかという形式を好むほうであるし、
さらにはこれらふたつは結局のところ不可分であることもこれまた当然で、
だからして内容についてはさして書かんとこ、とおもっていたのだけれども、
しかしなんやしらん気になることもあって、溜めておっても気色悪いし、
ほなわかりきったことでも書いてしまおか、
どうせ、たいしてひとが読むわけでもないけれども、だから自分のためやけども、
あるいは、自分のためにでも、書いたらまた別のことがわかるかもしらん、
などとおもい、書くことにいたした次第。
で、歯の話でもあるし、痛みについてでてくるし、で、そのあたりをば。
そもそものそもそもにおいて、歯、であり、痛みが出てくる時点で、
どないしたって、ウィトゲンシュタインを想起しないわけにはいかぬのであって。
「わたし」は、歯医者で働く同僚の三年子に、しょっちゅう足を踏まれたりつねられたりする。
ほで、当然のことながら、それが、痛い。
未映子さん、やっぱりちょろっと錯綜してはるんやけれども、
まずは、三年子が「わたし」の足の甲を踏む。すると「わたし」はこないなる。
「踏まれている足が痛いのはわたしであってそれを踏んでいる足の三年子はちっとも痛くないのだ、そしてこの痛いということが広がっていくのはわたしの足の甲からであって三年子の足の甲とはなんら関係がない! ということに感嘆しながら震えている」
つまり、ここでは、感覚が他者と共有できない、ってな感覚が書かれておるわけね。
「わたしは痛い」は、わたしだけのもんであって、
たとえば、「彼 / 彼女 は痛い」とそれとの間には、なんら連関がない、
ってかんがえが、根底にあるようにおもわれるのね。
けれども、「わたし」は、三年子に、こんな手紙を書く。
「〈痛みノっていうのはもともとは大きなひとつのもんで・一度あってしまったもんが消えるということはないんですノ痛みにも総和があるのです・三年子さんがわたしをつねる・わたしに痛みがやってくる・痛みが移動しただけで・増えたということではありません・いまここにある痛みは・かつてどこかにあった痛みノこんなにこんなに人がいても・こんなにこんなに痛みがあっても・それを本当に感じることが出来るのは・ここしかないのです!ノ出来ることなら誰かがいつか世界に散らばる痛みをあつめて・どっか深い深い穴を・一生かけて穴を掘り・埋めて埋めて埋めちゃって・穴を埋めて埋めなならん・埋めたうえのそのうえに・誰かが完全にふたをしなならんノやって来てこれからも来る来る痛みをぜんぶ・わたしと私をいう穴に・埋めるべきです〉」
すると、三年子は、こう応じる。
「〈痛みをぜんぶ引き受けますとかあほなことを云うけれど・だいたい世界における痛みの総和ってなんなのよ・あんたが受ける痛みはあんたの中から発生するの・反応で生まれるもんやありません・あんたの中にもともとあるの・それがムードででっかくなったり炸裂したりそんな具合になってるの・だから痛みは他の誰とも共有できぬとそうなってるの〉」
このくだりを読んどったら、わたしは、ウィトゲンシュタインの私的言語論? よう知らんけど、
「痛み」について語っておったその変遷を、おもい浮かべんわけにはいかんのです。
『哲学的考察』とか『青色本』とか、たぶんだけれども、初期においては、彼は、
こんなことを言うとったように記憶してます。
「わたしは痛い」と「彼は痛い」は、まったくもって別もんである。「わたしは痛い」というのは、
記述であって、その感覚の記述であって、「彼は痛い」は、感覚の記述でなくして、
なんちゅうの、行動? そんなもん、そないに書いてはった。たぶん。
せやけれども、『哲学探求』になると、それを転回しはる。
「わたしは痛い」というのは、記述ではない、と。ほななんやねん、いうことになりますけど、
それは、自然的表出の代理や、いうんです。
つまり、こどもは、「痛い」いうことばの前に、まず泣いたり喚いたりっていう、自然的表出、
それがあって、そのあとに、「痛い」ってことばを憶えるわけですやん。
だから、「わたしは痛い」ってことばは、痛み行動の一部であって、
つまりは感覚表出の延長線上にあるもんや、ってことです。
ほな「彼は痛い」はどうか、いいますと、それはやっぱり単なる記述やのうて、
それは、同情を意味する、そない、いいますのん。
「わたしは痛い」がうめきの代理なら、「彼は痛い」は同情のうめきの代理や、てね。
うめくんは、彼やのうて、「わたし」なんです。どないかしてあげたいわ、いう、気持ち、
共感、それが、同情、いうわけやねんね。
だから、ことばと感情は、いっしょくたにくる。
ことばとは記述でなく、認識、態度、身振りなんかを含んだ、行為、になる。
それはそして、たとえば「痛い」なら「痛い」それを数々うけるほど、
膨れあがって、豊穣になって、乱暴に言えば、他者への共鳴につながる。
三年子さんの言うてはるんは、だから、前のウィトゲンシュタインの認識にひとしい。
わたしの痛みはあなたにはわからんのよ、っていうね。
で、「わたし」は、後のウィトゲンシュタインの認識に近い。
痛みを感じるのは「ここしかない」いうてはるけれども、一方で、
いつかその痛みを穴掘って埋めんならん、
わたしは「わたしと私という穴に・埋めるべきです」言うてはる。
つまり、その発想の根底には、ウィトゲンシュタインいうところの「同情」があるんやね。
そないおもて読んでたら、やっぱり、で、「わたし」は昔、ものごっつ、いじめられとった。
つまり、痛みをむっちゃ受けとってんね。しかも、徹底的に受動的に。
そこにおいて、すでに「わたし」は、痛みの穴やった、ともいえるとおもわれるよね。
ほいで、青木と、青木の「化粧お化け」との一悶着があって、
青木に共感、つまりは奥歯をもらう、いうことをはねつけられて、
「わたし」は、奥歯を抜くことになる。麻酔なしで。
麻酔なしが重要なんは、そこで、徹底的な痛みを感じないかんから。
ニンゲン、痛みの種類はぎょうさんあるやろけど、
爪剥がすとか、歯抜く、とか、拷問では定番やということをかんがえるならば、
それは、ニンゲンの感じる痛みの中でも、結構な上位に入るとおもわれるわけよね。
つまり、世界の痛みのなんぼうかは、そこに流れこんできたような、
その象徴ともうけとって、ええんちゃうのん、とわたしはかんがえるのです。
そして、また、逆に、自分の中に流れ込んできとった痛み、
いじめられた感覚をすでにして、ほかに流れんように、閉じこめとった、
いじらしい行為の流れ出した瞬間でもある、と。
して、奥歯抜いたら、穴があく。そこは、痛みの流れ込む穴。
だから、そんとき、わたしは、いじめられた痛みをおもいだすん。
「わたし」は歯が痛んだことがない、だから奥歯も痛んだことがなかったけれども、
それを、みずから徹底的な痛みで、知る。
ところで、「奥歯っていうのは硬いねん、大事なもんを入れておけるで」
と「わたし」は言うんやけれども、その奥歯を抜く、っちゅうのは、
その「わたし」のそんざいぱんぱん詰まってるときめた「奥歯」を抜く、
しかもあっけなく抜かれてしまうっちゅうのは、
そして、穴が空いて、それでも、わたしいうなんやらしらん意識? そないなもんが、
残ってしまってる、いうわけやから、その抜かれた瞬間、「わたし」は、
あの『雪国』の冒頭、主語がない世界を想起するのは、これ、当然なわけで。
そんざい、いうのんは、だから、「わたし」がおもてたみたいに、
硬くも、確かでも、なんでもない、ものごっつう、曖昧なもので。
せやけど、ここは、やっぱり、感慨深い場面であって、なんでかいうたら、
奥歯を抜く痛み、それに伴う穴によって、わたしのそんざいが一瞬なくなるのと、
痛みっちゅう、他者への回路が、爆発的に拡充するするのとが、同時にして起こる、
ここに、一瞬が、「わたし」と「世界」が、一致するような、そないな、
奇跡のような一瞬が、生じる、そないおもわれるからであるよね。
だから、青木に奥歯抜くのをはねつけられて、
そのあとに「わたし」が奥歯を抜くのも、これ必然で、
それは、わたしから、他者への回路を痛みによって開く、って意味がある、
そないふうに、わたしにはおもわれることでありましたよ。
おもたより長くなったけれども、
未映子さん、こないにかんがえてはったんちゃうのん、
っておもうことを、書いてみました。
- 2007/07/30更新
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