「ショートバス」
西洋においての性の問題は東洋のそれとはまたちがった特異な(ヘヴィーな)意味を持つことになるようだ。独立した個がびくともせずに保たれていることがまずは自然な前提である西洋においては性とは個が個であることにかかわるそもそもの矛盾がきわめてダイナミックに露呈してしまうなかなか劇的な場面であるようなのだ。性/性欲は確かに不可避でありだから誰もが誰かを性的に求めてしまうのだがしかしまた性/性欲にかかわる満足とはそれこそ個において孤独に問題とせざるをえないことだからそいうい意味では性交は常に失敗含み(相手のことは絶対的に分からない)でしかありえないと言わねばならなくもあるだろう。性は不可避であるが(誰かを求めざるをえないが)しかしまた性は不可能でもある(孤独な享楽でしか在り得ない)ということである。そして性にかかわるこの二律背反はそのまま愛にかかわる二律背反を併せ持つことにもなる。つまり性なしでは愛はありえないだろうがしかし性が孤独なエゴイスティックなものである以上しかしいったいこの性関係rがほんとうに(あなたとわたしの)愛であるとはたして如何にして信じ得るのか、と。「ショートバス」ではきわめて多様な性の形態がまっくた剥き出しに(過剰なまでに)描かれているがしかしあくまでも性と愛の問題がきわめて正確に捉えられているが故につまりその上での性愛にまつわる赤裸々さであるがゆえにむしろ情念的な(オヤシ系週刊誌のような)不潔なドロドロさは一掃されている。あるいはまたそれは個と個がぶつかり合う関わりとしてきわめてクールに捉えにれているがゆえにナルシスティックな(女性誌的な)自閉的な性愛に対する美化もここではまったく皆無となっている。したがって幼稚な情念やナルシスティックなイメージを欠いた上で性愛にまつわる正統な物語が語られているのでその性愛描写は(あえてやり過ぎることによって)滑稽で笑えるものにすら見えてくるのである。笑えるというところにまで突き詰めている(追い込んでいる)というところがこの映画のもっとも面白いところでありまた性にまつわる嘘の無さがこの監督のこの映画においての最大の美点でもあるだろう。「性」のなんたるかを知りすぎているがゆえに「愛」を見失ってしまったひとりの同性愛者の男性と、「愛」のなんたるかを知っているがゆえに「性」にまつわる不満足を抱えたひとりのインテリ女性と、このふたりがこの映画のふたつの中心として据えられた上で映画が構成されている。このバランスは巧みである。そしてたくみであるからこそこのふたりの周囲にさまざまな性的問題を(なかなか笑える深刻さとして)配置することにも成功している。なかなか面白い映画。
- 2007/10/17登録
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