アナベルリー
アナベル・リー
昔々の子供のころ、ラジオから流れてきた歌に心奪はれた。
異国の人が異国のことばで歌ったもので、何を云ってゐるのかさっぱりわからなかったけれど、たとへやうもなくうつくしい歌であることはわかった。
たとへやうもなくうつくしいことばであることはわかった。
後にそれがシューベルトの歌曲であり、歌ってゐたのはディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウであったことを知る。
そして思った。
ドイツ語を喋る人々はなんて幸せなんだらう。
遠い東の国に住まひする何もわからぬ小さな子供に
「なんてきれいなことばでせう」
と思はせることのできるやうな歌と歌ひ手がゐるなんて。
長じて他の人が歌ったシューベルトの歌曲を聞いたり、フィッシャー=ディースカウが他の歌を歌ふのを聞いたりしたが、あの時のやうな感動を得ることはなかった。
今でもない。
多分、詩と曲と歌ひ手と、三つが三つ見事にそろったのがあの歌だったのだらう。
あれから幾春秋、自分にとってうつくしい外国語といへば、ドイツ語とイタリア語と中国語、そしてイギリス英語だった。
ドイツ語以外にもそれぞれ上記シューベルトの歌曲のやうな思ひ出がある。
ある時、その中にアメリカ英語が入ってきた。
「アナベル・リー」に出会ったからである。
多分、翻訳されたものを読んだらさうはならなかったと思ふ。
また、黙読しただけでもさうはならなかったと思ふ。
さらにいへば、自分で音読してもこんなことはなかっただらう。
たまたまある時、「アナベル・リー」を朗読する人がゐた。
幼い日、フィッシャー=ディースカウの歌ふシューベルトの歌曲を聞いた時と同じだった。
何を云ってゐるのか、あらかじめ詩を渡されてゐたのでなんとなくわかってはゐたけれども、極端に云へば内容はどうでもよかった。
耳からえもいはれぬやうなうつくしいことばが入ってくる。
そんな感じだった。
その時朗読したのはアメリカ人。母国はテキサス州の、メキシコとの国境に近いとある町で英語の教師をしてゐると云ってゐた。
どこといって特別なところがあるわけではない、普通の人であった。
しかし彼の読む「アナベル・リー」は、フィッシャー=ディースカウのシューベルトの歌曲と同じくらゐ貴重なものだった。
彼は云った。「この詩を愛してゐるんだ」と。
「アナベル・リー」は古い詩で、綴りにも英国風な感じが見られるが(sepulchreとかね)、現代のアメリカ人が現代のアメリカ英語で朗読してもなほ、妙なる響きを持つ詩なのである。
こんな詩をそして詩人を持ったアメリカ合衆国といふ国は幸せである。
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