Voice of Hedwig
ヴォイス・オブ・ヘドウィグ
-----あなたの“ヘドウィグ”は、どんな声をしていますか。
「アメリカにはゲイのための高校があるらしいよ?」
僕の身の回りにいるLGBT & friendlyな仲間の内でそんな話をするとき、だいたい出てくる反応はふたつ。
「へぇー、楽しそうだねー! アメリカはやっぱ進んでるよねぇ。」
「えー、ゲイばっかって…… それはそれでやりづらそうじゃない?」
どちらの反応にしても、そこにあるのは一種の楽観的な空気。
「仲間がいっぱいいたら、楽しそう。」
「みんながみんな仲間だと、恋愛沙汰とか大変そう。」
“ゲイのための”---仲間がたくさんいて---“高校”---青春が満喫できる場所---という字面だけを追ってしまって、日本でゲイとして生きている限りではまずできない学生生活が、そこでは出来るんじゃないか、なんて。
そんな淡い想いを勝手に、僕は抱いていたりもした。
「ヴォイス・オブ・ヘドウィグ」は、ニューヨークに実在する、LGBTQの青少年のための公立高校「ハーヴェイ・ミルク・ハイスクール」を巡る、ドキュメンタリーフィルムだ。
この映画の出演者は、大きく分けてふたつのグループに分けられる。
ひとつのグループは、「ハーヴェイ・ミルク・ハイスクール」のために、映画「Hedwig and the angryinch」でトランスジェンダーの歌手・ヘドウィグが歌う楽曲をカバーした、チャリティ・コンピレーション・アルバム「Wig in a box」を作ろうとする、プロデューサーやミュージシャンたち。このアルバムは、「angryinch」主演のJohn Cameron Mitchellは勿論のこと、オノ・ヨーコが初めて人の作った楽曲のカバーをしたことでも、注目されたアルバムだ(勿論ふたりとも、この映画に出演している)。
そしてもうひとつのグループは、実際に「ハーヴェイ・ミルク・ハイスクール」に通う、高校生のLGBTQ当事者。黒人レズビアンのテナジャ。ラテン圏出身ゲイのラルフィ。アジア系MtFトランスジェンダーのエンジェル。カンボジア出身レズビアンのメイ。この映画の、本当の主役は、この4人の---この4人以上の、LGBTQの子どもたちだ。
子どもたちは「ハーヴェイ・ミルク・ハイスクール」で、実に楽しそうに笑いながら、真剣に学ぶことを楽しみながら、和気あいあいとした高校生生活を送っている。ここでは自分が自分らしくいることが許される。好きな服を着て、好きな髪型をして、好きなメイクをして、好きな課外活動をして、自分が自分であることを、強く再確認していく。青春を楽しく生きる、明るい高校がそこにはある。
でも、この子どもたちが「ハーヴェイ・ミルク・ハイスクール」に通うことを選んだのは、そんな“明るい青春”を謳歌するため(だけ)ではない。ゲイ・バッシングの強いアメリカで、白人中心主義のアメリカで、LGBTQの子どもたちが生き抜くことは、容易なことではない。お気に入りのジーンズを穿いて登校するだけで、「ホモは殺してやる」とナイフで脅される社会。自分らしくありたいと、髪の毛を伸ばすだけで、或は短く刈るだけで、家族から冷たい目を浴びせられる社会。そんな社会で、自分の性を---自分のあるがままの心の生を、生き延びるための、シェルター。それが、「ハーヴェイ・ミルク・ハイスクール」の持つ、もうひとつの顔なのだ。
「暴力的なホモフォビア(同性愛嫌悪)が強いからアメリカは大変だけど、日本では暴力に遭うことは少ないんだから、まだマシじゃないか。」※---そんな風に優劣をつけるようなカタチで比較をすることは、無意味なことだ。日本に生きるLGBTQの子どもたちには、日本で生き抜くなりの大変さが、無論のこと存在している。“男女”とそしられたり、“オカマ”と呼ばれからかわれたり。生きづらさがあるのは、紛れもない事実だ。(※勿論、日本でもセクシュアリティを理由とした暴力は、肉体的/精神的問わず、存在していて、死に至るレベルのものも在る)
ただ、“日本での生きづらさ”と、“アメリカでの生きづらさ”に、違いがあることは、確かなこと。優劣があるワケではないが、確かな相違が、そこには在る。このフィルムには、そのことを改めて認識されられた。だからこそ、この映画を観る前に想っていた「ゲイのための高校」への淡い想いは、一面的なものしか見ていない、勝手な夢想だったのだということを、思い知らされた。
それでも、僕がこの映画で涙したのは、子どもたちの“不遇さ”故ではない。ゲイの友人たちと夜の街を楽しそうに歩く姿に。或は、「ハーヴェイ・ミルク・ハイスクール」が、公立高校として開校したその日に、多くのバッシングに遭いながらも、同時に、多くの祝福する声に囲まれて、誇らしげに校門をくぐる子どもたちのその姿に。子どもたちが自分らしく生きているその姿にこそ、僕は心を動かされたのだ、と。強くそう想う。
子どもたちは、ただ可哀想な訳ではない。子どもたちは、ただ青春を謳歌している訳ではない。泣き、悩み、苦しみ、楽しみ、笑い、寄り添いながら、ときに離れながら、出逢いながら、別れながら、生きている。LGBTQという、この社会ではまだ“アウトサイダー”とされる生を、必死に生きている。自分と、社会と、向き合いながら生きることが、どういうことなのか。そのことが焼き付けられたフィルム、それが、「ヴォイス・オブ・ヘドウィグ」だ。たくさんのヘドウィグたちの声を、是非聞き届けて欲しいと、強く願う。
- 年(代): 2006
- 地域: アメリカ と 世界全部
- 原題: FOLLOW MY VOICE: WITH THE MUSIC OF HEDWIG
- 2007/10/28登録
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