一ノ瀬泰造
自分が使っている一眼レフカメラは、Nikomatというカメラ。
特に特別でもなんでもないカメラだけど、戦場カメラマン一ノ瀬泰造が使っていたというだけで、どんなメーカーのどんな種類のカメラより価値があった。
たぶん18歳くらいだったと思う。
世界を旅するならどこにいきたい?
そう聞かれてまず思いつくのがアンコールワットだった。
本を読んでひとりの若き戦場カメラマンが執拗にこだわった場所がどんな場所なのか知りたかった。
そしてカンボジアにもある彼のお墓で手を合わせたいと思った。
もう時代もかわり、ただの観光地となってしまっていると聞くけれど、そこに立って彼が写し出した情景をこの眼にも描いてみたいと思った。
戦火のベトナム、カンボジアに赴き、生涯をかけて戦争写真を撮り続けたことで知られる報道カメラマン。
戦火のど真ん中で友人の結婚式を撮影したその姿はどんなものだったのか。
友人に宛てた手紙に「地雷を踏んだらサヨウナラ」と記しアンコールワットへ単独潜行した26歳の青年の想いとはなんだったのか。
ジャーナリズムとはどんな精神なのか、彼の背を感じつつ言葉足らずの解釈で身の内に収めた。
自分はカメラを手に取り、
その風景、その景色、その人物
ありのままの姿を伝える手段として切り出してきた。
その場に宿るひとつの物語を記したいのだと思うようにしている。
彼の写真を多くは知らないけれど、
強く劇的な空気の中に、優しさと儚さを感じてしまう。
彼がカンボジアで消息を絶ってから35年。
自分の奥底でその魂は今も生き続いているような気がする。
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一ノ瀬の両親は、行方不明後も息子の生存を信じ、カンボジア政府に幾度も捜索の嘆願書を送り続けた。そして一ノ瀬泰造を村人が見たとの情報を得て、1982年、TBSの取材に同行する。そしてアンコールワットの北東約10キロ、プラダックの荒涼とした草原の土に眠る息子の遺骨と再会することになる。取材によると、一ノ瀬泰造は1973年11月22日か23日、アンコールワット潜入後すぐにクメール・ルージュに捕まる。そしてプラダックに連行された。夜は足に鎖を繋がれたが、昼間は自由に村人の撮影をしたりしてたらしい。その後、命よりも大切なカメラを取り上げられ、反抗的な態度を咎められ、11月28日に処刑された。遺体の埋められた場所は、村人の多くが覚えていて、両親はそこを堀りかえし、遺骨を収集した。清二氏が、泥にまみれた遺骨を近くの川で洗い、荼毘に付した。遺骨の一部はアンコールワットを仰ぐ木の下に、残りはのちに日本に持ちかえられ、現在は故郷、佐賀県武雄に眠っている。
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一ノ瀬泰造 オフィシャルサイト
http://www.taizo.photographer.jp/
映画「TAIZO」
http://www.teamokuyama.com/taizo/
映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」
http://www.teamokuyama.com/taizo/...
- 2008/02/06登録
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