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ねぼけ人生 水木しげる

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 ねぼけた人がねぼけた人生を語る。ずいぶん感銘をうけた。その水木はゲーテに感銘をうけた。素晴らしきかなゲーテ。
書籍情報
「昭和十六年(1941)十二月八日の朝。ラジオがバカにやかましく軍艦マーチを流す。ねむい目をこすりながら母に聞くと、戦争が始まったという。
ニーチェだとかショーペンハウエルだとかがよさそうなので読んでみたが、もっともだと共感することもあるのだけれど、読後少したつと、どうもしっくりこない気がした。聖書も読んでみたが、どうにも僕には向いていないようだ。ただ、語調がよかったので(当時のは、美しい文語調だった)、新約聖書は何度か読んで、暗記した文章もある。
そのうち、年齢も二十歳に近づき、戦争もきびしくなってきた。いつ召集になるかもしれない。そんな時、河合栄治郎編「学生と読書」という本に、エッケルマンの「ゲエテとの対話」という本が必読書としてあげられているのを知った。岩波文庫のこの本を買って読んでみると、はなはだ親しみやすく、人間とはこういうものであろうという感じがする。これで、ゲエテに感心を持ち、「ファウスト」や「ウィルヘルム・マイステル」や「イタリー紀行」を読んだが、「ファウスト」は何度くりかえしてみてもわからなかった。
僕には、むしろ、ゲエテ本人が面白く、だから「ゲエテとの対話」が好きなのだ。この本では、いろいろな人がゲエテ家に出入りし、それについてのゲエテの感想や生活がまるで劇でも見るかのようにうかがわれて楽しかった。後に軍隊に入る時も、岩波文庫で上中下三冊を雑嚢に入れて南方まで持っていった。
人に「ゲエテをどう読んだか」などときかれてドギマギすることがよくあるが、簡単に言えば、父親がたよりなかったから、”代理の父親”みたいな気持ちで愛読したわけだが、もう一つは、僕は、ゲエテのような生活がしてみたかったのである。
家は四階建てで屋根裏部屋があり、部屋数は多く、美術品がたくさん飾られており、近くには、散歩に適したところがあり、ガーデンハウスなぞという別荘がある。宮殿で美しい女性に囲まれ、皇太子の頭をなでてみたりする。近所には、シラーという意見の合う友人がおり、家には、ヨーロッパ中の文化人が訪問してくる。時たま、ナポレオンなんかも戸をたたく。こんな生活を僕は空想して楽しんでいた。
ゲエテが関心を持ったり体験したりしたことを、僕もできるだけ真似してみようとも思った。
ゲエテは、自然に関心があり、動物や植物の研究をしていたというので、僕も植物学の本を買って読んだし、また、ゲエテは、スピノザを尊敬していたので、僕も古本屋で「エティカ」を買ってきて読んだ。そのほかにも、「ゲエテとの対話」の中に出てくる詩人や作家のものは、気をつけて読むようにした。ゲエテがシェイクスピアやモリエールを誉めるので、これも読み、ずっと後には全集まで買った。
「若きウェルテルの悩み」は二回か三回読み、住んでいた甲子園口あたりの景色を勝手になぞらえてあてはめ、空想の中でゲエテになって散歩して楽しんでいた。以前は、あのあたりには家も少なく、美しい景色だった。ただ、ゲエテと違って恋人もいなかったし、あまり女にももてなかったから、女と口をきいたこともなかったのだ、少々さびしい。 それでも、空想の散歩は楽しく、近くの別荘を見ると、これはシュタイン夫人の家、甲子園ホテルを見ると、これはワイマール公国大公夫人の家、などと考え、もはや、ワイマールが甲子園だか、甲子園がワイマールだかわからないほどだった。
僕自身も小川を散歩する時は、完全にゲエテで、自分でも、僕のなかのゲエテなのか定かでなかった。
僕は、ゲエテがベートーベンと会う話を母に聞かせたが、熱心なのは僕一人で、母はぽかんとしていた。おそらく、おかしくなったんじゃないかと思っていたのだろう。

ねぼけ人生 水木しげる

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  • 2007/12/26更新
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