赤鬼/NODA MAP
'96年にこの初演を見に行った。
出演者は野田秀樹と、段田安則、富田靖子、アンガス・バーネットの4人。
入場してすぐにそのほんの小さい島のような舞台が目に飛び込んでくる。ひょうたん島のような微笑ましいやわらかいかたち。
何か始まるんだ、というわくわく感が最高潮に達した頃に出演者が出てくる。
その小さな舞台に収まったり飛び出したり。
野田秀樹は空間を面白く使う。
私はわりと前のほうで観ていたので、出演者が動くと空気が肌をなでる。意外と富田靖子は小さいのだなあと思った。
この話は「海亀のスープ」という話からインスピレーションを得て作ったと書いてあって、わくわくした。
「海亀のスープ」の話を知っていたから。
『赤鬼』という作品全体から受ける印象は、まさに「海亀のスープ」そのものだった。
哀しくて、優しくて、滑稽で、残酷。
“知らない”ということは、時にはとても滑稽だ、と思う。
思い込みとか頑迷さが加わると、それは物悲しい滑稽さに変わる。
赤鬼を、見ている私たちはただの外国人だと知っている。
しかし村人たちは外国人の存在を知らない。大きくて赤くて訳のわからない言葉を話すから“赤鬼”だという。
“あの女(富田靖子)”だけが、その赤鬼の本質に近づこうとする。
“あの女”も村からちょっと疎外された存在だった。ウチとソトとの中間。
こういうところは人類学っぽい。
“あの女”は村人が持つフィルターを通さないでものを見、近づこうとする。
そのコミュニケーションはうまくいくかに見えたが…、
それは結局邪魔をされて叶わない。
もう抗えない波みたいにどんどん流されていって、“女”はついに外国人に本当に近づくことができなかった。
そして村にとっても、赤鬼は赤鬼のまま。
そして、今度は“あの女”が赤鬼になる。
その断絶が、「海亀のスープ」のどうしようもなく空虚な終焉に似ていた。
野田秀樹にしてはシンプルなストーリーであったのは、この結末を引き立たせる為の計算なのかもしれない。
これはやっぱり神話なのだ。
野田作品の女性が往々にしてそうであるように、“あの女”も向こう見ずなまでに純粋な強さをもつ。大きく包み込むような理性があるのにどこか生々しくて、徹底的に傷ついたり、傷つけたりする激しさがある。
坂口安吾の『夜長姫と耳男』の夜長姫みたいに。
富田靖子はそんな女の人をとてもうまく演じていた。
富田靖子をとても好きな人と一緒にこのお芝居をみにいったのだが、私もとても好きになった。
小粒なのに、無垢で強い風が吹いているような瞳。
はだしの似合う人だ。
このお芝居ではだしだったかどうかはよく覚えていないのだけれど。
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