ミガワリザル
身代わり猿
奈良市の「ならまち」を訪ねた。行政区画ではないが、「昔の奈良」の面影を残した一角が「ならまち」。その町のヘソのような位置に、庚申堂があり、お堂の周辺の家々の軒からは、赤いくくり猿が幾重にも重なって、ぶら下がる姿が見られる。「庚申さんの身代わり猿」と呼ばれる。
この「猿」の由縁は、さまざまなものがあり、あちこちのブログにも諸説が見える。
「ならまち」で、身代わり猿に関しての「公式HP」といる資料館の案内によると――
「庚申(こうしん)さん」のお使いの申を型どったお守りで、魔除けを意味し、家の中に災難が入ってこないように吊るしているのである。災いを代わりに受けてくださることから「身代り申」とよばれている。 また、背中に願い事を書いてつるすと、願いが叶うといわれ「願い申」ともいう。
「庚申さん」とよばれる青面(しょうめん)金剛像は、西新屋町の当館にまつられている。中国の道教の教えを説く庚申信仰は、江戸時代に民間信仰として庶民にひろがった。 言い伝えによると、人の体の中に三尸(さんし)の虫がいて、庚申の日の夜に人が寝ているあいだに体から抜けだし、天帝にその人の悪事を告げにいくという。 その報告により寿命が決まるというので、人々は六十日に一度回ってくる庚申の日は、寝ずに「庚申さん」を供養したという。
庚申さんは、帝釈天で、猿はそのお使いとも。道教の教えとともに入ってきた、という。「三尸の虫」封じに、炊き上げたコンニャクを黙って、北向きで食べる、などという風習は、京都でも聞いたことのあるものだが、民間の信仰として重層的に広まっているようだ。
ならまちの路地は、確かに「昔あったどこか」の記憶を蘇らせてくれるようだ。ちょうど曇天で春一番が来ようか、という日であったが、これが夏のカンカン照りの下だったら、どのような心象風景になったであろうか。
京都の西陣の裏のほうにもありそうな街角を曲がると、ポスターがあった。「穀田来る」。共産党幹部の来演の告知だった。そういえば街中に、スーパーはもちろん、コンビニが無い。町家の続きと、お寺さんだ。
元は元興寺の寺域だったのが、寺の焼けた跡に人々が住んだ、といっても「先の戦争」のずっと、ずっと、ずっと昔の話だけれど、時間がどこか止まっているような感じもした。町おこしの意欲だけは伝わってきたが……
- 2008/03/05登録
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