高橋源一郎『優雅で感傷的な日本野球』
「僕の精神がボール以上のものだってわかる時がね。へへ、だからね、僕は心配なんかしてませんよ。するもんですか」
正直言うと、文章は面白いところも多いが、話がわからない。
「野球」という失われたものを復元しようとするが、失われたまま小説は終わる。書かれた瞬間、それはただの野球になってしまうが、書かれないことにより「野球」という可能性だけを提示する。もちろん、誰かが言ってたけど「野球」でなくて「文学」でもかまわない。ただの停滞としてのメタファだから。
この小説が書かれた88年は、85年の阪神優勝を境にしてお茶の間の主役から人気が落ちていく時期で、実は小説あるいは文学といわれるものが存在価値を失っていった時期と重なっていて、そういうものの可能性を感じさせてくれる小説。
80年前半に小説は物語を否定してリアルを描き出した。高橋氏の『さようなら、ギャングたち』。村上春樹の『風の歌を聴け』。
その後村上氏は物語と寄り添うように小説は書き始め、87年にロマンスとして『ノルウェィの森』を書く。このベストセラーはまさに、絶好調に見えるけど、内容的にはスランプな状態を想像させる。
そして88年のこの作品は物語を徹底的に否定して、スランプなのに絶好調という全く逆の状態を書き切っている。
しかしスランプは読みにくい。
- 2008/05/01登録
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