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僕のいた場所 (藤原 新也) (ぼくのいたばしょ)

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藤原新也が文明批評をしたりゲーム批判をしたりするのは、あまり好きではないのだけれど、このエッセイ集のなかでは、笠智衆とのエピソードがいい。

昨年、イランのエスファハーンだったか、売店の若者の手帖に貼られた笠智衆のポスターの切抜きをみて、眼をみひらいた。なんだって、こんなところに東京物語なんだと、面食らった。誰かが渡したとしか考えられないが、どうでもよいと思った。5時をまわって、青のモスクの街を裁縫するようにアザーンがながれている。アッラーフアクバル(アッラーは偉大なり)の合唱がしっぽりと暮れる街に沈殿するのをきいていたが、笠智衆の写真が頭を離れなかった。だから、僕にとっては、袖振り合う縁でもないのになぜだか笠智衆とエスファハーンと出遭っていたことになる。

先夏だった、イランで邦人大学生が誘拐されたのは。その少しまえ、ぼくは同じ場所にいて、そのあと笠智衆と出逢い、軽々しいことをしてしまったものだと、ニュースを聞いて誘拐されたのが僕であった可能性を想って、自省していた。その10年前、藤原新也は、旅人に礼を尽すイスラーム圏で、邦人が営利目的で誘拐されることの意味を想い、インドに吸いこまれる現代の若者の心理を計らっていた。

「世界が次々に失われていく」

そういえば、『深夜特急』の沢木耕太郎は今福龍太とのトラベローグ対談で、旅先が“サムシング・ハプンズ”であることを想い、堀田善衛がインドでしばしば漱石や内村鑑三やドストエフスキイのことを想い、遠藤周作が『深い河』の奥底に来世への愛を想ったように、「僕(藤原)がいた場所」は、母の死が重なる薄暮の桜であり、能面のような笠智衆をとらえるファインダーの中であり、イスラーム感覚に包まれたイランの月面砂漠地獄である。

日本にいようが旅先であろうが、行き先が過去未来であろうが、想いがつねに旅をしている。藤原はかつて、なんの変哲もない、東南アジアのどこかで撮った、ちっぽけな農家の写真を撮って、こう想った。ここで、死ねたらなあ。偶然舞い降りてきた、死に場所。本気で言ってるんですかと思うけど、どうやら正直だ。偶然に身を委ねる準備ができている。

帽子を虚空に揚げるのは、リュウさん、笠智衆である。リュウさん あそこに小津安二郎さんがいますよ まるで天国の入口のような丘に連なる道の遠くを指さすと リュウさんは不意に帽子をとり オーーイ と小さな声で言った それから間もなく 俳優 笠智衆は他界した

「フジワラさんは、小津先生みたいだなァ」といってくれたリュウさんに遭ったのも、仕事でインタビュー特集を組まれたのがキッカケで、まったく偶然だった。笠さんの能面が、じつは演技のたまもので、じっさいは喜怒哀楽がすぐに顔にでてしまうタチだということも、そこで知った。

拈華微笑(ねんげびしょう)。並木に釈迦が弟子に説法したとき、蓮の花を指でひねって意を伝えたところ、迦葉だけが理解して微笑したという故事から、この美しいことばが生まれた。拈華微笑など、ひとかたならぬ演技である。その相貌から無言のうちに湧き出る想いが、やっぱりひっそりとした会話のなかに織り込まれていて、よけいな夾雑物がないのがいい。

小津映画は”集積”によって成り立っているとよくいわれる。一見関係のないような路地裏、煙突、縁側、居間。そのなかに配置する三輪車や花や壷など、小津はひとつひとつの小道具にいたるまでこだわった。小津は、場所を切り取るというよりも、配置することにこだわった。小津が笠に”能面”になれと指導したが、笠の拈華微笑もまた、小津が画面にそっと配置された。小津映画には”動き”がない。かわりにひとつひとつの”場所”がある。また、観たくなった。

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  • 著者: 藤原 新也
  • 出版社: 文藝春秋
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    • 2008/05/08登録 New
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