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倉富勇三郎のみた宮中 (枢密院議長の日記 (講談社現代新書 1911))

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倉富勇三郎といって、知っている人はいないだろう。枢密院議長といっても、どんな役目か分からないだろう。
けれど、そのお爺さんが書き綴った日記が垣間見せてくれる世界は、他に記録がないだけに貴重なものらしい。
日記というのは、常にそうだが、誰のために書かれているのか。読む人を想定しないで、自分自身だけの備忘録にする、ということもあるかもしれないが、やはり、どこかで読まれることを――それが、後世であれ――どこか期待するところがあるのだろう。

さて、この倉富勇三郎。実に膨大な日記を残した主の名だ。嘉永6(1853).7.16.生まれ。久留米出身。明治から昭和にかけての司法・宮内官僚。佐野に倉富のスケッチを頼もう――。
「倉富は東大法学部の前身の司法省法学校速成科を卒業後、東京控訴院検事長、朝鮮総督府司法部長官、貴族院勅撰議員、帝室会計審査局長官、宗秩寮総裁事務取扱、李王世子顧問、枢密院議長などの要職を歴任した。帝室会計審査局は宮内省の会計監査を司る外局、宗秩寮は皇族・華族に関する事務を担当する宮内省の内局である。また李王世子顧問とは皇族や華族の事務全般を司る日本の宮内省にあてはめれば、李氏朝鮮最後の皇太子の垠(ギン)殿下を補佐する東宮太夫的立場に相当する。垠は大正9(1920)年、皇族梨本宮守正の第一王女・方子(まさこ)と結婚して日韓皇族の架け橋となった。倉富は司法官僚として、また宮内官僚として位人臣をきわめた。」

その倉富の日記が、国会図書館の憲政資料室に所蔵されている。――日記の巻数は小型の手帳、大学ノート、便箋、半紙など297冊を数え、執筆期間は大正8年から昭和19年まで26年間。ものすごい執念のメモ魔で書き屋だが悪筆。序章は「誰も読み通せなかった日記」とある。甥の作家、広津和郎も挑戦したが、挫折したらしい。

だいたい、日記とは登場人物が多い。その関係は、書き手は当然のこと良く知っているわけだが、公的な関係者、親戚縁者から友人といった私的なレベルの人たちまで、どのような人なのかを理解するには、相当な知識が必要だ。まして、このような経歴のひとであるだけに、それは生半ではない。実際、佐野が起こしたものは大正10年と11年の2年ほどに過ぎない。この時期が、現在にも通じる皇室最大の危機の時代であった、というのが佐野がここに照準を合わせた理由。

――大正天皇の御不例はもはや公然の秘密となり、大正10年11月25日には、病気の大正天皇に代わって皇太子裕仁(後の昭和天皇)が国事を代行する摂政制が敷かれた。大正11年には、明治・大正の政治に多大な影響力を与えてきた大隈重信と山縣有朋が相次いで高いし、前年の大正10年には、大正と言う時代の一瞬の輝きを体現した原敬が暗殺されている。明治は確実に終わり、大正は行き詰まり、時代は昭和と言う暗い時代に入る準備にゆっくりと移っていた。

皇太子裕仁と久邇宮邦彦(くにのみや くによし)王の第1女良子(ながこ・後の香淳皇后)との婚約に際して”宮中某重大事件”が表面化したのも、大正から昭和に移行しようとするこの谷間の時代。”宮中某重大事件”の内幕は、「原敬日記」や「牧野伸顕日記」にも詳しく書かれているが、その間の宮中事情を克明に記したこの倉富日記は、それらの著作を補完して余りある第一級の歴史的史料となっている。近年、伊藤之雄(京都大大学院法学研究科教授)や永井和(同大学院文学研究科教授)など、日本近代史を専攻する学者たちの間で倉富日記への注目がにわかに高まっているのも、そのためである。永井ゼミで大正8ー10年の日記翻刻を進めているらしいhttp://www.bun.kyoto-u.ac.jp/...

といっても、この宮中某重大事件。
宗秩寮総裁事務取扱の辞令を受け久邇宮家の内情のレクを宮内次官の石原健三から受ける。そのやり取りは次の如し――
<石原>「良子女王の事も栗田より意見書を出し、果たして真の原因あらば已むを得ざることなるも、単に医師の見込みと云うだけにては不十分なる旨の意見書を出し居れり」
<予>「女王に付、何か話しあることは聞き居れども、其詳細を聞かず。不妊症とでも言ふことなるや」
<石原>「然らず。色盲の懸念なり」
<予>「其事ならば医師の診断にて真に分かるべきことに非ざるや」
<石原>「本人に色盲ありと云うに非ず。色盲の系統にて其の子孫に遺伝する懸念ありと云うことにて、定説にては遺伝すること確実なり」

この「重大事件」は、宮内大臣二人更迭、という騒ぎになり、その背景に山縣有朋と、一方に久邇宮家を後押しいた薩摩閥との薩長の対立があり、聞き及んだ右翼が介入、怪文書を政界にばら撒くなどのパターンが見られる。結局、もの言いをいれた山縣勢が破れ、山縣はこれを境に主導力を失っていく。この際の、右翼羽織ゴロが仕掛けてきた恐喝に対する宮家の対応、警視総監の対応などが、日記にはみて取れるが、右翼とのトラブルを金で始末する、という悪いパターンは、その後も続く。

このほか「朝鮮王族の事件簿――黒衣が見た日韓併合裏面史」「柳原白蓮騒動――皇族・華族のスキャンダル」「有馬伯爵家の困った人々――若殿様と三太夫」「ロンドン海軍条約――枢密院議長の栄光と無念」などの章が立っている。

倉富勇三郎のみた宮中

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