『命の森』名嘉睦稔
名嘉睦稔さんの版画を見に明治神宮のなかにある宝物展示室へ。
墨で大胆に描かれる下絵や木を削る姿を見て荒々しく力強い印象を受ける。
けれど実際の作品は、強さも優しさも夢を見るようなはかなさも大地の器もそれを包み込む母性のようなものも風も、なにもかもが同時に存在していた。
はっと、気付く。
だって人間こそそういう存在であるかもしれないんだものな、と。
強さだけとか、やさしさだけとか、そんな風に生きものは単純じゃない。
全部抱えてここにいる。
自然とか、無垢とかいったことばのなかに私は自分にとって都合のよいものを見いだそうとする。
たとえば子供を見たときに子供は純粋だなぁって考えたとして、その純粋さってなんなんだろう。
未来が明るくひらけていてまだ何も知らなくて生きる喜びにあふれていて…なんてそれだけの単純なものじゃない。かえって子供のほうが負の部分も鮮やかだ。もしかしたら大人よりもずっと死に興味があったりする。だからいろんなものが怖かったのかもしれない。とか。
自然のこともそう。
美しいって、安全だったり清潔だったりすることだけじゃない。
生きていてあらゆることが絡まりあっていて突き進んだり停滞したり、ゆるしたり淘汰したりする。包んだり腐敗したり輝いたり、傷つけたりも。
そのすべてがこの私たちを取り巻いている世界のありかただし、わたしだってその中にいる。
12畳にも及ぶ大きさの作品に添えられたことばが印象的だった。
ひとことで言い表わすことばを僕は知らないし、ひとつのなかにすべてを込める方法を僕は知らない。これだと信じたものを繰り返しそこに残してゆくこと、その集積が自分が描きたかったことなのだ…
…というようなこと。
もしかしたらこれは私の解釈にすぎないかもしれない。文章すべて書き写してくればよかったなぁ…。
このことばを読んだときにああ…と思わず声を出してしまった。
何も毎回新しいことをやってみようとしなくていいんだ。一度ですべてをわかった気持ちにならなくてもいいんだ。
ここにあることに近づくために探ることを重ねていっていい。私の中にきっと蓄積さていて核を成そうとしているなにかをいつも手繰りよせようとして、何度も言いたいことを言えばよいのだ、何回でもわからなくなってみてよいのだ、と。
私が感じたり見たりしたことから生まれたなにかをどうにかして伝えたいのに、一番それに近い温度や感触をすぐさまぱっと引き出すことができないしかたちにもならない。時間が許すならたくさんのことばを発してみて色を重ねるみたいにしてやっとそこに近づいてゆく。(けれどひととの会話のペースはそんなに都合よく私を待ってはくれないし、ストレートに一点をつくことが必要だとも思うのだけれど)。
作品づくりの場合その作業はひとつひとつがただのトライでおわってはもちろんいけない。
けれどその都度全力で向かい合って言い切って、でもまたなお新しく掬いとってきて言い切る。
その繰り返しならば迷いとは違う。
『星の叢花』という沖縄の空を描いた作品が素敵だった。
見ていると星がからからかちかちしゃらしゃらきんきん、と音をたてているのを聞くことができた。そうだ、小さいときは夜空を見るといつもこんな音がしていたんだった、と急に思い出して途方に暮れた。
笑ったり、走ったり全身をパーにして爆発を遂げる星たち。
もうひとつふと頭にのぼったことは、光と影、コントラストの表現がうまいなぁ…と考えてふと、もしかしたら版画をやるひとはそこにこそ興味があるのかもしれない…だからこの手法を選んでいるのかもしれない。と思いあたった。
私は版画をただの、木に彫った絵、と考えていたのだ。今日まで。
違うよね。
この手法に辿り着くにはそれだけの理由があるのだ。
考えてみたこともなかった。
びっくり。
とても素敵だったからよかったらたずねてみてください。
17日まで「森」シリーズをやっていて、8月23日~9月28日までは「海」シリーズが始まります。
私はなんとかして海シリーズも見に行くつもり。
場所:明治神宮文化館 宝物展示室
時間:9時~17時30分
入場料:一般800円・高校生500円・中学生以下無料
名嘉睦稔さんHP
http://www.bokunen.com
- 2008/07/31登録
- 255クリック
- メイン
- コメント(3)
- つながり(1)
- トラックバック(0)
つながりキーワード (1)
琉球紅型
- (駄目ねこ)
青幻舎からいろいろ出ている文庫サイズのビジュアルブック、の紅型のもの。 お仕事で紅型模様を描こうと思ったら描けなくて、しばらく見ていなかった紅型の写真集をひっぱり出して見...



琉球紅型
女ー沼田識史作
憎愛少女ー沼田識史作



