London 1908
ドランドの悲劇
その悲劇はちょうど100年前のロンドン、ホワイトシティ・スタジアムで起こった。
マラソンのゴールシーンはしばしば感動的だ。1984年のロス五輪では、スイスのアンデルセン選手が熱中症でフラフラしながらもゴールしたシーンが記憶に残る。女子マラソンが初めて採用された大会ゆえに、どうしてもゴールしたかったのだという。トラックを1周半するのに、6分近くかかった。男性ならば死んでいたとも言われた。
近代五輪黎明期のマラソンに逸話は多い。当時、約40kmというあいまいな距離で争われたレースは、現在のように全コースを監視することなどムリだったろう。それで、04年のセントルイスでは途中棄権して収容車に乗せられたランナーが、再び走り出してトップでゴール。一時、金メダルをあたえられた。
12年のストックホルムでは、日本の金栗四三選手がレース中に行方不明となる。その後、彼は五輪開催55周年の記念式典に招待され、会場内に設置されたゴールテープを切る。記録は54年8か月6日5時間32分20秒3。彼は「箱根駅伝」開催にも尽力し、2004年から大会最優秀選手には金栗四三杯が贈られている。
さて、08年のロンドンでは、当時の王妃アレクサンドラが自分の目の前でスタート&ゴールを見られるように「ウィンザー城の庭から、ホワイトシティ・スタジアムのロイヤルボックスの前まで」とコースを定める。おいおい。このときの距離──42.195kmが、24年のパリ五輪から正式に採用される・・・?
レースに参加したイタリアのドランド・ピエトリ選手は40km付近でトップに立ったが、ゴール直前でアンデルセン選手同様の走りとなり、とうとうダウンしてしまう。(「男性ならば・・・」)。係員に助け起こされ再び走り出した彼は、その後も何度か倒れながらもトップでゴール。王妃のわがままで延ばされた350mあまりを走るのに、10分もかかった。
レース後、2位に入ったアメリカ選手から抗議が出て(このあたりは、当時も今も同じ厳正なルール?)結局、失格となった。これを“ドランドの悲劇”という。
自分のわがままはどこへやら、王妃は彼の力走に感動して別にカップを用意する。また大会役員だった、かのアーサー・コナン・ドイル氏も「シャーロック・ホームズより」と彫った金のシガレットケースを贈ったという。
史上最低の大会になりそうな北京だが、参加する選手に罪はない。国のためでなく、ぜひ自分のために走ってほしい。くれぐれも呼吸器疾患にはご注意を・・・ムリか。
- 2008/08/02登録
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久しぶりにワンコ友達と♪ダイエット
- がおがお日記 | Tracked: 09.6.21 12:57 am
明日で夏休みが終わるのねっ… なんだかあっという間にクリスマス→お正月迎えそうで 今年こそ痩せて彼をギャフン!と言わせるって毎年思ってる… 食欲の秋を目の前にダイエット… 若かり...
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