ヤキバニタツショウネン
焼き場に立つ少年
大東亜戦争終戦後の1945(昭和20)年9月、アメリカ空爆調査団の公式カメラマンとして来日した故ジョー・オダネル氏が長崎で撮った写真。
唇を、これ以上かたく結べないという程にきつく結んだ少年。裸足で直立不動の少年とは対照的に、だらりと頭を垂れた赤ん坊は既に死亡している。
こんな幼い弟を荼毘に付さねばならない責任と無念さと悲しさとを小さな背に独りで背負い、弟を焼いてもらう順番を待っている少年の姿。
日本軍による真珠湾奇襲攻撃のニュースを聴いて日本人に激しい怒りを感じ、日本人を殺すために海兵隊に志願したというオダネル氏。
広島・長崎の、灰燼と化した街の中で、笑顔の消えた幼い子供達の姿を数多く見るうちに感情を持ってしまったという、
“こんな幼い子供達がアメリカに何をしたというのだ。この子達の母親を殺したことは間違いだ” と。
記録カメラマンらは軍からの命令以外に日本人を勝手に撮ることは禁止されており、撮影後のフィルムはすべて軍に返却、個人用カメラの使用も禁止。個人的感情を持つことを否定されていたにも関わらず、
禁じられた個人のカメラに子供達の姿をおさめ続けた。
乳飲み子2人をおもちゃの様な乳母車に乗せた幼い男児、爆音で耳の聞こえなくなった七五三の晴れ着姿の女児、
そして表題の少年…。
オダネル氏については、昨日BS-iで再放送されたテレコムスタッフ制作のドキュメンタリー「原爆の夏 遠い日の少年〜元米軍カメラマンが心奪われた一瞬の出会い〜」や今夜20時からOAされたNHK福岡放送局制作のNHKスペシャル「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~」をご覧になった方もあろうが、
玉子達の世代の人間にとっては、暗殺されたJFKの葬儀の際の「棺に向かって敬礼するJr.」の写真を撮ったカメラマンと説明した方が馴染み深いのかもしれない。
広島・長崎の経験で母国・アメリカの原爆投下に疑問を持ち、目にした惨状の悪夢から逃れるためひそかに撮影したフィルムもカメラもすべて封印し、1949〜1968年までアメリカ情報局ホワイトハウス付きカメラマンとして活動したオダネル氏だったが、
1989年、広島・長崎の被爆者の写真を全身に貼ったキリスト像を見て天啓のごとく“自分も何かしなければ”と思ったという。
アメリカの中枢に近いところで活躍し続けた人間が、
封印を解いて現像した写真でアメリカのしたことの意味を問い直すことは、
困難を極めたらしい。
写真展を開こうにも場所の貸し手がなかった、出版したくて持ち込んだ出版社35社すべてから断られた。
自由の国・アメリカらしくないじゃないかと思うが、それだけ原爆投下は触れたくない過去で、それだけオダネル氏の写真の持つインパクトが強かったからに違いない。
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