殺されるための逃走とは
大脱走
NHK BS hi の8月のテーマは「戦争と平和」だそうだ。他チャンネルでは五輪や高校野球ばかりの暑い夜に、連夜、これでもか、と戦争に関する証言やドキュメンタリーをラインアップしている。9日夜9時からのhttp://www.veoh.com/videos/...[ハイヴィジョン特集は「カウラの大脱走」]。昭和19(1944)年8月、オーストラリアのカウラ捕虜収容所にいた日本人捕虜千人近くが集団脱走した。それが、「脱走して、その後どうする」という展望もないにも関わらず、むしろ自分たちの死ぬ場を求めて敢行されたのだという。連合軍の英米兵が、ドイツの収容所から大脱走、というカッコの良い映画ならさることながら、それは一体なに? という感じの話だ。3年前05年8月に110分の番組として放映され、同年8月から9月にかけてNHK総合とBS1とで50分バージョンでオンエアーしたものの、再放送で完全版だった。
冒頭、収容所のバラ線のクローズアップと機銃掃射の弾丸の軌跡が、脱走の悲劇を暗示する形で提示される。そして、兵士たちが肌身離さず持っていた軍隊手帳の「戦陣訓」が大写しされる。「生きて虜囚の辱めをうけず」。この「戦陣訓」こそが、大脱走の背景にあるキーワードなのである。それが生存者の証言や資料を通じて明らかにされる。
日本軍の南洋作戦は開戦当初の華々しさは短期間で終わり、ニューギニアなどに送り込まれた兵士たちには、十分な資材さえないままに展開されていく。戦死、病気による脱落や死亡など生き地獄であった。兵士たちは、豪州兵の捕虜になる。
証言した元兵士たちは、口をそろえて「殺されると思ったし、さっさと殺せ、と思った」。兵士たちにとって、「虜囚の辱め」の戦陣訓もさることながら、生きて捕虜になることすら考えていなかった。「美味しい」水を出され、「考えられないほど美味な」缶詰を出され……
捕虜への尋問に、兵士たちは素直だった。捕虜になることを初めから否定しているだけに、何の捕虜教育――何をしゃべって良く、何をしゃべってはいけないか――も、されていなかったのだから。そして、尋問の中でも、兵士たちは、だれもが偽名を名乗った。正しく官姓名を名乗ることは、「生きての辱め」を認めることであるだけに、まして本国にそれが伝わった際に、累は家族親族にまで及ぶやも知れない、という虞が強かったからだ。そのような条件と、一網打尽に武装解除されたり、捕虜にされたわけではないところから、旧帝国陸海軍の指揮・命令系統の一切がない、フラットな集団になった。捕虜と収容所側との交渉などがあるので、団長や班長を選んでいるが、年長であるとか、選出に兵隊の位は無関係だったようだ。収容所の中では、野球をしたり、マージャン、花札など、用具を自分たちで器用に作りながら、けっこう楽しげな時間がすぎていく。そこに新たに収容されてきた一群の捕虜たちの新たな提案が出てくる。捕虜の人数が増えたこともあって、移動をしなければならなくなった収容所側からの提案と絡んでのことだ。
特攻隊の年若い兵たちは「戦陣訓」を手に、「生きて虜囚の辱め」を受けていて良いのか、この機会に打って出て、死ぬことで「辱め」を解消することへの慫慂である。班長会議は断続的に開かれ、団長では決断しきれないことであるから、とそれぞれの班に戻っての投票によって、決することになる。打って出て「死ぬ」か、これまでのような収容所の体勢を受け入れ「生きる」のか、いずれか、あるいは丸かバツをつけることで、決をとるということだ。
結果、打って出て「死ぬ」ということになる。本音では「生きたい」と思った人でも、それを口に出して同じ班のメンバーを説得する人はまれだった。口に出さないまでも、無署名なのだが「生きる」の投票をするには抵抗があったようだ。20台の若者たちで、もうそろそろ「年貢の納め時」という諦めに似た感じが、多くを支配していたようだ。このあたりの証言は、人によって異なる。60年も以前の記憶であり、忘れたいことを忘れ、せめて思いたいように思う心の動きは十分に理解ができる。
44年8月5日1時55分。突撃ラッパが鳴り響く。兵士たちが走り出たバラックには火がつけられる。4班に分かれた捕虜たちを機銃掃射が襲う。この「死ぬための脱走」敢行で、231名が死亡、31名が自決したといわれる。収容所のバラ線を越えて辛うじて脱走した一握りの捕虜たちも、結局は何することなく、再び「虜囚」となる。
捕虜たちは、引き上げ船の第二船で帰国するが、戦後を60年近く、一切捕虜になったことを知られることを虞ながら生活をした人もある。捕虜になったことを明らかにした上で、戦後を生き直した人たちにも、俘虜としての辱めを共有する中で死んでいった同僚たちへの思いが長く残った。
引き上げ船で「上をむくことができなかった」ある兵士は、内地であの「戦陣訓」を書き、開戦の内閣の首相であった東条英機大将が、ピストル自殺をし損じて占領軍に逮捕され、巣鴨のプリズンに入ったことを聞き、ちょっと心が軽くなった、と話した。
知らなかったが、この収容所の大脱走の話がドラマとして7月8日に日本テレビ開局55年スペシャル番組「あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった―カウラ捕虜収容所からの大脱走」として放送されていた。小泉孝一郎、大泉洋の主演で評判を呼んだドラマであるらしい。もとは、いずれもオーストラリアのジャーナリスト、ハリー・ゴードンの「生きて虜囚の辱めを受けず」のURL:http://yamadamami.com/book3.html/[訳者山田真美氏]の立案・制作協力でできたもののようだ。
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コメント (3)
2008/08/11
糞袋 いろんな「戦争体験」があるのだろうと思います。「おまえたちに話してもわからないだろう」という思いも当然あるでしょう。話してもらっても、もうこっちがわからない、そんな場合もあるでしょう。でも、伝えなければ、確実に同じことを繰り返すのでしょうね。
chagale おっしゃる通りで、「語り継ぐ」ことが必要なのだと思いますが、厄介なのは当事者が「語る」ことを拒否したり、あったことを語ることができないケースです。今回の大脱走と戦陣訓の関係からいうと、実に「虜囚の辱め」という金シバリはきつく、多くの同僚が死んでいるだけに、関係者が60年もの間、口を閉ざしていたということなのだと思います。明らかにされない史実、語られぬまま墓に持って行かれた「歴史」は、残念なことに語り継げないのです。どこかで、だれかが、その突破口を開いて、その言葉が、歴史が語り継がれていくようになれば良いのですが……。それも戦後60余年。どんどん難しくなっていきます。
糞袋 「語るに足りる相手・機会」だ、と信じていただくことしかないのではないでしょうか。(エラそうなことばかりいってすみません) ところで、我々世代も「今」を「語り継ぐ」ことをしていかなければなりませんね。ふぅ。
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