総持寺総門
三松関
曹洞宗大本山総持寺の総門、三松関(さんしょうかん)。ちょうど屋根の工事をしているところに出会い、パチリ。大本山への参道を入って、三門に至る丁度なかほど、ひらがなの「く」の字を裏返しにした、折れ目の位置とでもいおうか。この写真は、山内からの撮影だが、門の入り口には「三樹松関(さんじゅしょうかん)」と書かれた扁額(へんがく)が掲げられている。總持寺の祖院がある能登には、みごとな龍の形をした三本の松樹があったことに由来しているのだという。檀信徒研修道場でもある山内の宿泊施設にも、「三松閣」の名が付けられている。
そもそも、この大本山の総持寺。正式名は、「諸嶽山總持寺」といい、その開創は、675年余もの昔にさかのぼる。日本海に突き出した能登半島の一角、櫛比庄(現在の石川県鳳至郡)に諸嶽観音堂という霊験あらたかな観音大士を祀った御堂が始まり。元亨2年(1322)には、後醍醐天皇が瑩山禅師に下された10種の勅問に対する禅師の奉答が、深く帝の叡情にかなったところから、總持寺は「曹洞出世の道場に補任」され、その住持は紫衣の法服着用を公に認められた、という。
時代は下って明治31年(1898)4月13日夜、本堂の一部より出火、フェーン現象の余波を受け瞬時にして猛火は全山に拡がり、慈雲閣・伝燈院を残し、能登の伽藍の多くを焼失した。これを期に、現在地の横浜・鶴見に大本山を移したのだそうだ。参道の下は、現在は鶴見事故の現場となった東海道線など、線路があり、埋立てられた土地に人家連坦でがあるが、幕末の生麦事件の現場もすぐ近く。海岸線が、すぐそこまである景観も良い地であったに違いない。
話を総門に戻すと、この門、禅宗寺院の第一門としては珍しく、特異な高麗門(こうらいもん)の様式で建てられている。総門には、棟つづきの右奥に「新到安下所(しんとうあんげしょ)」があり、仏の道を志す修行僧が、最初にワラジを脱ぎ、宿泊する建物で、細い縦看板がかけられている。
工事をしているのは、この「安下所」の屋根だ。大正9年に作られた総欅造の1間高麗門。国の登録文化財。瓦の老朽化に伴う工事だそうだ。次に修行僧が、この本山を訪れる時季までには、工事も仕上がるのだろう。
- 2008/09/04登録
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