やなぎみわ マイ・グランドマザーズ
現代美術家のやなぎみわが、若い女性に自分の50年後の姿をイメージさせて、そのシ-ンをやなぎみわと話しながら実際に創りあげて撮ったもの。創造の仕方が面白い。
人の表情を撮った写真は、特に年配の方が被写体の場合に多いが、その切り取った一瞬に、その人のそれまでの人生の凝縮を見る。
それは見る側の錯覚で、しばしば写真家の錯覚でもある。見る側も写真家も、どれほどその被写体の人物のことを知っているのか? よほど親しい人の場合を除き、被写体の表情から読み取っているつもりのことは、実は自分の人生体験の投影である。
そう思うと、やなぎみわのアプローチは改めて斬新である。自分の50年後の姿。どういう一枚にするか。金も時間もかけてそのシーンを創りあげていくプロセスで、やなぎみわと被写体になる女性の間になされる対話の積み重ね。終着点に至る自分の人生に想いを巡らせ、否応なく膨らむイメージ。今まで考えもしなかったなにかが、対話と想像の中から発見される。そうした全てのことが、長編小説のように織りなされるのではなく、一瞬のフレームに凝縮される。なんと贅沢な遊び。
ここで見られます
http://www.yanagimiwa.net/...
写美で行われていた展示
http://www.syabi.com/details/...
写真集
http://www.amazon.co.jp/...
やなぎみわのオフィシャルサイト
http://www.yanagimiwa.net/index.html
- 2009/05/12更新
- 2009/05/12登録
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コメント (7)
最新コメント5件
2009/05/12
雲衣。 ウーン。お二方の称賛に逆らうみたいで気が引けるのですが、要するに、バロック(歪んだ真珠)的な「鏡よ、カガミ、世界で一番醜いのはダーレ、美しいは醜い、醜いは綺麗 。。。」ぼくには「グロテスクなナルシシズム+露出狂性」を基盤と背景にした自家中毒の一種としか見えないし、思えないのであります / 笑。 できの悪いシンディ・シャーマン というか、、、
CLASH シンディ・シャーマンがどんな人か知りませんが、アプローチは全然違うんじゃないかと。やなぎみわのは写真家の写真じゃないし、狭い意味でのアートでもない。bibibiさんの言うように、言葉のないインタビューのようなものなので、被写体の醜い面も浅い面も、そういうのがあれば全部画に出るかなと。やなぎみわのそれは言わずもがなです。
雲衣。 かつて詐欺師によって売りに出された月の土地や、架空の抵当権、時間あるいは自らの影をも売る行為を連想せざるを得ない「売却され消費される未来」像。尋問を受け、誘導され、被写体となった彼女たちはスターのように美術空間で露出し、凡庸であるだろう人生から束の間は脱出する自己満足の “はした金”でまるで「観念の臓器移植さながら『未来』」を売り渡すことに完全に無自覚である。 仮にやなぎみわさんが 魔法使いの末裔としての「本物の芸術家」ならば、なおさら怖ろしいのではないでしょうか / 笑。
CLASH 人は皆、「凡庸であるだろう人生から束の間は脱出する自己満足」のために、酒を飲んだりアートを見たり音楽聞いたりスポーツやったり本を読んだりするのでは?(笑) まして女はしたたかです。「半世紀後の自分のビジュアル化」は、ある意味、拡張された化粧のようなもので、男は皆、化粧が詐欺であることを知っています(笑)
2009/05/13
bibibi この作品を観る限り<尋問を受け、誘導された被写体>ではないことが分かります。なぜなら強制されたものに人は惹かれません。自分自身で引き出せない何かを、誰かが引き出してくれる、それは誘導ではなく触発だと思っています。ほんでアートには解説なんて無必要でしょう。なんちて。
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